カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

● 当ブログコンテンツの(出典先を明記しないままの)無断転用・引用は固くお断りいたします ●

| アイコン Toppage | アイコン What's news? 20161117210210 | アイコン 記事一覧 | アイコン Homepage | アイコン Contact |

無意識の構造より(劣等コンプレックス)



こんにちは。

またしても面白い本をみつけました。
無意識の構造 (中公新書 (481)  河合隼雄著


今日はその中で特に印象的だった部分を忘れないように(苦笑)ここにメモらせていただきます。

(関係者様 もしも問題があるようでしたら、どうぞ遠慮なくご指摘くださいませ。すぐに削除いたします 管理人)


================================

劣等感コンプレックスの概念は理解しやすいものだけに、ひろく一般に受け入れられた。
しかし、それに従って誤解も生じてきたのである。

たとえば、生徒になにか劣等なところがある時、それを指摘することによって、劣等感コンプレックスを作りだしてはいけないと教師が考えて、その点について触れるのを避けるようなことである。

たしかに算数が出来ない子どもに、おまえは算数ができないからだめだと教師が言い、それによって生徒が傷つくことがある。
そしてそのような傷が劣等感コンプレックスの形成に役立つ時もある。

しかし、コンプレックスというものは、感情のしがらみであり、複合体である。
劣等なことを劣等であると認識することは、コンプレックスとは無関係なのである。
というより、そのような認識こそ、コンプレックスを消滅させるための第一歩なのである。

(省略)

このような点から考えると、教師が生徒の劣等な点について、腹の中ではダメだと思いながら、口先だけは逆のことをいったり、何事もないように言ったりすると、それはむしろコンプレックスを作りやすい条件となることが解る。

子供の心がその矛盾した二重の暗号を無意識のうちにキャッチするとき、彼は自分の劣等性を、心の中にどう位置づけていいのか解らないのである。

(とはいっても劣等であると知らされるのは辛いので、伝える側は言われる側の気持ちに共感できたり尊重出来る人の方がいいそうです)

(省略)

自分の劣等感に気づくことなく、むしろ、それを救って欲しい願望を他に投影し、やたらと他人を救いたがる人がいる。
そのような行為の背後には、複雑な劣等感と優越感の絡み合いが存在しているが、他人がありがた迷惑がっている事も知らず、親切の押し売りをする。

このようなコンプレックスを、メサイヤ・コンプレックスと言う。
これは表面的には善意としてあらわれるので、克服することの難しいコンプレックスである。

このような人は、気の毒な人の救済に力を尽くしていると信じているが、実のところ、救済される側の人がおのれのメサイヤコンプレックスの解消のための救世者(メサイヤ)であることを知る事は少ないようである。

何かのコンプレックスを共有することによって、親密な人間関係ができたように感じることも多い。

たとえば強い劣等感コンプレックスをもった人たちがなんらかの集団をつくる時、その集団内にいる限り、自分のコンプレックスの存在によっておびやかされることがないので、非情に居心地が良く感じられる。

このような点に無意識であればあるほど、その集団の結束力は強く、簡単には抜け出しがたい。

ある個人が自分のコンプレックスの存在に気づき、それと対決し自覚に至ろうとするときは、その集団の成員と対決しなくてはならなくなる。

どのような集団も背後のコンプレックスとは別に、建て前の旗印をもっているので、コンプレックスの自覚は、他の成員から見ると、旗印に対する反逆、ないし裏切りとみなされることが多い。

このような中から抜けきって、コンプレックスの解消に至ろうとする人は、相当な孤独感におそわれることを覚悟しなくてはならない。