カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

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数秘33について思うこと。


私のライフパス数は33です。
父も33でしたし、身近にも多くって、たぶん20人位はいると思います。
でも私たちは、特に人よりぬきんでたことをしていたり、地域でも目立ったこともしてなくて、ごくありふれた暮らしをしていると思います。

33は数秘術では、マスター数と呼ばれる、3つの特殊な数字のうちの一つ。
私の計算では、西暦2000年になってからは、2029年の9月29日までは、ライフパス33は誕生しません。
単純に、9がいっぱい含まれてないと、33にはならないんです。
(今気がついたけど、2と9の組み合わせの日、なんだな)

で、(数秘での)特殊な数の生まれ=人格者や超能力者、では決してないと、私は思ってます。

ライフパスという数は、その本人にとって今生での最善の歩みを示す、道筋を象徴するもの。
33だからといって、「人類救済をするために生まれてきた」という考え方は、ライフパス数という数の意味や意義からして、私は賛成できません。

そういう考え方はむしろ、自己愛の肥大化といいますか、うぬぼれ、自己顕示欲、過信を増長しかねなくて、それではご本人の為になるどころか悪影響を与えかねないと思ってます。
(10年やってるカウンセリングの場でも「あなたは人類の救済者」なんて言ったことはないです。 講座では、社会奉仕活動、という表現では言ってたりしますが、こんなドラマティックで抽象的な表現での伝え方はしていません)

もしも私が誰かにそう言われたら、「じゃあそもそも何のために私は人類救済を"しなくちゃ"いけないんでしょう? そうしないとどうなるんですか?」って、そう断言される根拠や理由を聞いてみたくなります。

それに、このような言いかたはまるで、「人類救済をしなければ自分は不幸になる」っていう風にもとれちゃいます。

え、人類の救済?
そんなそんなとてつもないこと、簡単にはできない。
ということはつまり、私の人生って、そんなに過酷なものなの??
そんなぁ、どうしよう。。。(涙)

って不安を抱えてしまうかたも、中にはいらっしゃるでしょう。
これじゃ脅しです。
恐怖心を植えつけてることになります。

だから、アドバイスをするのって、本当に難しい。
知識が豊富なのとアドバイスがうまいのは全く別物、って私は強く思いますし、これが悩みの種でもあります。

*****

ライフパスは、たとえば33でしたら、たしかに中身は33のエネルギー(可能性、宿命)があると思います。

ですが、その存在は植物の種子と同じようなもの。

適切な時期や環境で、そして適切な世話をしていかなければ、芽を出さないし、下手すると腐ってしまいます。
そういう場合(実際あります)、33というよりも、ライフパス6としてリーディングをした方がぴったりだったりします。

つまり、たとえマスター数がライフパスでも、その数が象徴するキーワード(課題)をせっせとこなして会得していくことが最優先事項ではないでしょうかということです。
まずは、自分を心身共に自立させ、一人前に育てることが先決なはずです。

そうでなければ、自分自身も人生も、誤った方に向かわせてしまいかねないから、です。

それに33の悪い癖で、自分のしたいことを勝手にどんどん進めてしまい、周りに迷惑をかけてしまってることも少なくないです。
自分では正しいこと、その人のためを思ってしている=自分のしていることは間違えていない、と思い込んでいるからです。

でもそういう場面(人助け、お世話)に遭遇すると、もういてもたってもいられない33は、正義感とか倫理観の熱でかっかと熱くなっているため、実は最も先にケアすべき、自分自身の足元や周囲のことが、見えてなかったりします。

自分の都合や勝手で、誰かに無理や我慢を押し付けて成り立つ慈善活動や奉仕活動は、私は最良とは思えませんし、共感できません。

これは11も22も、33もそうなんですが、生きる道のベクトルを間違えると、全く真逆な人生や人間性になってしまうんです。

   11は稀代の詐欺師やペテン師、22は破壊者、33は犠牲者もしくは悪魔 です。

ちなみに、世界を巻き込む戦争を起こした某大国の元大統領も33です。
アインシュタイン(33)だって、原爆製造に加担したことは有名な話です(ご本人は悔いていたようですが)。

マスター数だから、「優れていて、良い人」ばかりがいるわけじゃないんです。

もしもそういう力を授かっているのだとしたら、自覚があるなら、そういう人こそ思い上がってはいけないと私は常に自分の肝に銘じてます。
自分を信じる力を育てたり持ち続けることも大事ですが。。

でも数秘の知識がありながら、自分たちからマスター数生まれであることを外にアピールするのは、どうも矛盾してるように感じてなりません。
自分の自信も才能も性格も行為も、誰かに確かめてもらったり、認めてもらうものじゃないはず、と思うからです。

私の周りの33さんたちは、数秘を知ってる人も知らない人も、33だからという理由で行動してるわけじゃなく、心のままに暮らしてます。
でも、何の計算もあざとさもないのに、自分でも気づかないまま、ごく普通に、周りの人たちを励まして元気づけてたり、影ながら心配りをしています。

私は、こういう自然で純粋な生き方(暮らし方)をしたとき、33の真の力が発揮されるように感じます。
だから私は自分がマスター数だなんて、普段は意識してません。

ですが私は煩悩ばかりの凡人で、次から次へと悩みが尽きません。
怒り狂って、その怒りで自分を苦しめることもしょっちゅうです。
そういう時は、33であることを思い出し、自分で自分にエールを送るようにします。
では33のどういったことを思い出すのかと申しますと

「33は、生涯、自分の中のあらゆるエゴや自我をできるだけ浄化し、霊性を成長されるために生まれてきた」

ということです。
それが完全にできるかどうかは別として、コツコツ山道を這いあがり、少しでも頂上に近いところまで進むことが、すべての33に共通する宿命であり課題と私は読んでます。

だから、その目的を完遂させるために、33は自然の流れでせっせと 愛の社会奉仕 をすることになるんです。
それは、差別も偏見もせず、見返りも求めず、どんな人にも分け隔てなく誠心誠意に対応できるようになるためには、自分のエゴや自我を滅する(自制する)ことをしなければできません。
実際、滅私奉公、なんて言葉もあります。
すると、不特定多数の人に親切にするのが、ライフパスのゴールに近づくのには、最も効果的なやり方ということになります。

33の本当のゴールは、こっちです。
賢者、人類の救済者、愛の奉仕者といった肩書を持つこと、ではないです。

ということはつまりは自分のため、なんですけど(こういう書き方では矛盾を与えるかもしれませんが)。
そんなこんなで、33には、不特定多数の人たちへの奉仕、みたいな表現(キーワード)が生まれたんだろうと思われます。

ですがそういう理由を知らされず、ただ、「33のあなたは人類救済するために生まれてきた」、なんていきなりいわれたら、虚栄心をくすぐられるかも?と思います(笑)

でも、33こそ、うぬぼれや慢心(エゴ)は強敵で、いかに無くせるか、それが今生の大きな目標。
それならそういうアドバイスは、まるでその人のライフパスの学びの邪魔をするようなものです。

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さっきも書きましたが、数秘のマスター数の特殊性を知らない人ほど、(意識しないで生きているためか)33として自然でバランスが取れた生き方をされているように私は感じます。

ただ33は激動の人生になりやすいです。
それは、自我を滅する生き方をするという、とてつもなく厳しい課題が、今生で目指すべきゴールだからでは? と思います。

いつどんな時も我欲を出さずに生きようとするのって、どれほど大変なことか。。。
(真面目に33の道を取り組もうとしたら)、それはもうひたすら我慢我慢我慢、です。(キリスト意識も33ですし、イエスキリストも33と縁が深いといわれてます)

また、一方で33さんたちの中にも、魂レベルで異なる成長の段階があるように感じます。
新入生と、経験豊富な古参者、みたいな。

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繰り返します。

ライフパス33は、他のどの数よりも、自分のあらゆる欲望やエゴを自制したり使い分ける生き方や成長を志すことが、自分を幸せにしてくれる運命にある人たち、と私は考えています。
差別、偏見もなくさなければ、本物の33にはなれません。
物でも関係でも考えでも、現世にかかわる執着は33の敵。
(人助けや改革をしたいがために力を得ようとしてる、というのは別です)

そして、そういう状態に近づくための、一番効果的な方法や手段が、奉仕活動 です。
それは近しい人たちにだけでなく、自分を不愉快にしたり苦痛を与えた人にも、分け隔てなく、心を込めておもてなしすること、です。

そういう過酷な生き方を自覚し始めたとき、初めて、6ではなく33としての種が芽を出して、育っていくように私は思っています。

とにかくできるかできないか、もしくはどれほど実現できたか、成果は別として「33の道」を意識して過ごしていると、さまざまな形で「救われること」が少なくないです。
悩みや迷いも、それをヒントに解決できたりして。

なので私は苦しい時ほど、33を意識します。
そうすると、「自分はあえて苦しい道を選んできたし、試されているんだ。 がんばろう」と思うんです。
「自分にはすごい力があるんだ、守られているんだ。人と違うんだ」なんて風には"使いません"。
というかそもそも恥ずかしいです。

そして33に生まれたからといって、別にこんな過酷なチャレンジしなくてもいいんですよ。
不幸になるわけでもなんでもありません!!
金メダルが欲しかったら、どんなにつらい練習でも、必要ならばやらなくちゃダメ。
33になりたかったら、そうしないとね、ってことです。
なりたくない人は、6のままでも十分幸せにになれますよ。
どんな生き方を選んでも、本人の意思が尊重されるので、神様を含め(笑)誰にも正誤を裁かれませんから。

あ、それから。
私は過去世で、自分が誰かの命を奪ったか、不幸にしてしまったような感覚があります。
カルマの解消、ですね。
その償いや反省をするために、今生でサービスの仕事をしているんだろうな、そしてその時相手に対してどれほど純粋な気持ちでしているのか、というのも試されているんだろうな、と感じてます(奉仕活動がテーマになってる人たちはその可能性ありますよ。あのダスカロスもそうだったようです)

また、著名人で33の人たちは、さらに課されたハードルが高いと思います。
誰よりもせっせと献身的に、愛と平和の活動をしていかなくちゃいけないわけで。
目に見えないところの苦労やストレスも大きいだろうなと思います。
それと目立つ分この人たちの世間に行動が与える影響は小さくないはず。

そういう理由から、時々このブログでも、マスター数さんを取り上げて書いてます。
「私なんかよりも全然大変だろうけどがんばってね。 世の中が良い方に向かうよう、"正しく"舵取りしていってくださいね」という願いをこめて、です。

ってこの話題であまりくどくど書くのもどうかと思うので、ここまで(笑)