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カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

● 当ブログコンテンツの(出典先を明記しないままの)無断転用・引用は固くお断りいたします ●


数秘6は美しさにこだわる 



昨夜BGM代わりに着けてたTVから、「沢尻エリカさん」って聞こえて、ふと画面に目が行った。
するとそこにはお久しぶりな沢尻さん。
なんかやせた?
それから、ふとした弾みに見せる表情や雰囲気が、全盛期の中森明菜さんにとても良く似ていて、余計なお世話は承知でなんとなく危うさを感じてしまった私。

とにかく、いったん仕事の手を止め、それから沢尻さんの様子をながめてた。
で、思ったこと。
やっぱり態度や言葉遣いって大事ーーー!


本人は素でいられるほうが楽かもしれないけれど、公共性の高いものほど見ている誰もが「良いもの(心地良いもの/啓発させられるもの)・素敵なもの」を見たいはずと思うんだよなー。

気の置けない友達とか家族の中では、沢尻さんのように率直な物言いとか、乱暴なざっくばらんでボーイッシュな言動をしても(向こうが許せば)全然オッケーだと私も思う。
だけど規模の大小にかかわらず公の場では、先方から求められない限り、やっぱり素の自分を出すべきじゃない気がした。
態度とか言葉とか価値観や意見だとか。

私が言葉使いが大事と思う1番の理由は、相手にとっては不快にさせる場合があるから。
乱暴で品のない振る舞いは年齢と共にNG。
逆に中身が特になくても(爆)、丁寧できれいな話し方はそれだけで好感が持てるし、癒されたりもする。

二つ目の理由。
若い時は言葉が乱暴だったりマナーもできてなくても、若さ==未熟さ という理由で大目に見てもらえる。
でもそれが30、40になるにつれて、そうもいかなくなってくる。

それに、50過ぎて品のない言葉遣いや態度をとっていると、それらの内容にふさわしい、"それなりの扱い"を世間からされてしまう(笑)
するととても恥ずかしい思いをすることに。
と同時に他の同年代の人たちと比較して、「自分は今までどんな生き方してきたんだ?」って、中身が変わらない=成長してない自分に気づいて凹んだりもする。

ましてや60、70と年齢が行くにつれてもっとその傾向は増してくると思う。
外見は年老いて、若い頃に比べたら、人間としての美しさは半減してしまう。

その時こそ、中身の美しさや輝きが必要になってくる。
知性や人格の輝きや美しさが、衰えた外見を補ってくれるのね。

そういうことを無意識のうちに知ってか知らずか、たいていは年齢と共に変わってくる。
というか、そうしなければならなくなるんだよね。
それには常日頃から向上心をもって、せっせと自分を磨いて高めていかないといけなくなる。

そもそも人は霊性を高めるために地上に生まれてきた。
修行をしに来てるんだよね。

といった人間稼業をサボって楽して生きようとする生き方は、惰性、堕落。
未来に「落ちぶれた最期」が待っている。

自らを "落とす"のは簡単なんだけど、自分で自分のお尻を叩いて生きてゆく意欲を"上げ続ける"のはほんとに大変。
そしてそういうのを、向上心と呼ぶと思う。

ユングのシャドウが示しているように、人はその都度その都度、生き方を選択しながら生きていくのね。
普通は、無意識のうちに、(人として)より良い選択を選び続ける。
で、選ばれなかった「してはいけない」「やめなければいけない」部分が潜在意識の隅っこに追いやられ、抑圧される。
これがシャドウ。

が、その自分のシャドウ(負の部分、悪の部分)を見せつけるような行為を見かけると、途端に嫌悪感や不快感が生じてしまう。
だって、堕落した方が楽だけどそれじゃいけないと思って必死に踏ん張って自分を向上させてきたわけで、だからできれば忘れて思い出したくもないし見せられなくもないからね。
とか、相手の言動を肯定して受け入れてしまうと、自分までそれにつられて堕落してしまう、ということを恐れたりも。

だからみんな無意識に、「美しさ(品の良さ)」を求める。

実際そうだよね?
それは「ワル」なものというのは、その時は刺激(興奮、高揚、気分転換)をくれても、ピークを過ぎれば嫌気が差して "手放す" でしょう?
だけど、本物の心を揺さぶるような美しいものはなかなか手放そうとはしないはず。
芸術作品のように、いつまでも残る。
それに特に悩んでいる時ほど、「醜悪」なものよりも、「純真で洗練された美しさ」を感じさせる人や物事の方に惹かれるもの。

それと、『本当の自分らしくいること』だけど、私個人はこの言葉の解釈を間違えちゃいけないと思ってる。
よほど成熟していてできた人でなければ、自分にとっては本物で正しいこと(ということは純粋であるということでもある)が、周囲の人にとっては有害なものだったりするからだ。
本当の自分を見せたかったら、まずは自分の内面をピカピカに磨いてからと思う。
あれでは人に好かれることはなく、なので活躍のチャンスも奪われ、そうして結果的に自分をよけいに追い詰めてしまうことになりかねないと思う。

とにもかくにも、醜悪と美といった究極の二者選択では、絶対的に、美の方が選ばれるというのが人の心の真理。
ただし惰性や欲望よりもその人の向上心が勝る場合は、という条件付きかもしれないけれど。

ということでテレビでならなおさら、そして職業柄、やはり言動というのは気をつけるべきというのが私の考え。

ただ、沢尻さんは、かっこつけないでいつもの自分でいようと思う、と言ってらした。
でもそれはもし彼女の心が弱くなって不安定だったら、なので負荷を減らして回復させるのには必要な事。
だったら、今という限定で、それでいいと思う。

だけどもしも今後心が安定してきて強くなれたら、そしたら今度は自分を良くしていく方(戒めてゆく方、自制)に切り替えていく必要があると思う。

彼女には演技者としての才能も美貌もあると思うのだけれど、それらを開花するチャンスや場は、最終的には他人が与えてくれるもの。
だから、一流の女優を目指したいなら、「付き合っていて心地よい振る舞い」をしていなければ、自らチャンスを棒に振るようなものなんだよね。
年齢が行けば行くほど、別に彼女じゃなくても 他に "替わり" はいっぱいいるのだから。

人には(自然体で)好感持たれるほうがやっぱり良いと思う。

そしてそれは沢尻さんだけじゃなく、自分にも言えることだったりする(苦笑)
「人のフリ見て我がフリ直せ」で、気をつけなくちゃと思ったのでした。


ところで、日本は(私の)数秘術の解釈では「6」の国。
6の文化や習慣、性格、気質を持つということ。

6というのは「(完璧な)美しさ」の数。
この場合の「完璧さ」は、人工的なものや意図的に作られたものではなく、ナチュラルで素直で純粋で自然に生まれた・出来ている、といったことを意味してる。
宇宙や自然界の成り立ちや仕組みには非の打ちどころがなくて、誰一人としてミスを指摘できたり批判ができない。
絶妙で完璧なバランスで保たれている。

しかも見た目だけでなく、内側からにじみ出ている、もっと本質的な美しさ。
そして6の「美」というのは、そうした状態を指している。

海外に出て日本を見てみると、これほどまでに高い美意識を持つ国民は、おそらく日本人だけだろうと思っている。
インテリアとかファッションとか、そちらのセンスが高い国はいくつかある。

でも価値をとことん突き詰めた時に、人が豊かで幸福に生きていくために一番重要なのは、心の美意識だと思う。

サムライ精神のように、日本人には独特な、生の美学みたいなものがある。
震災直後、すべてを失ってしまっただけでなく、まだ雪が残る寒い中、食料や水も不足してて、精神的に追い詰められた状態でも被災したみなさんが、それでも冷静さを失わず、お互いに励ましあったり譲り合って助け合ってらした。
そしてその様子は世界中から賞賛された。
これこそが、6の示す美、じゃないかなと思う。

私たち日本人は当たり前のように無意識にしているだけなんだけど、だからこそその美しさが本物であると感じさせる。

数秘6は、美しい生き方 を表している。
容姿とか外見の、しかも作られた美しさを意味するのではない。

顔や外見、服装がファッショナブルでオシャレじゃなくても、心が美しいことのほうがよほど重要。
そしてその美しい心があれば、口にする言葉も態度も所作も、自然と美しいものになる。

6の場である生命の樹のティファレトは、"天国" と直結しているのだそう。
天国は環境もそこにいる霊たちも、人間には想像もつかないほど、すべてが光り輝いていて美しいそうだ。

ということで6は天国(という環境や場、周波数)に近い数字。

なのでもしもライフパスが6なら、「美しく生きる(自分になること)」事が、今生の主要な目標の一つになる。
そして6のバイブレーションよりも数倍高いバイブレーションを持つ "33" は、もしも33として生きたいのであれば、6の何倍も「(魂が)美しい生き方」を目指さなくてはいけない。

それにはひたすら奉仕(=思いやり、情けをかける=愛)で試練と辛抱の連続(笑)
だからマスター数33の宿命や力をこの世で発現したかったなら、6さんたちよりもはるかに多くの努力や覚悟が必要と思う。
(なのでもしもライフパスが33であっても、6の方の特徴や気質、人生の方が適合しやすいのはこのせいもあると思う)

33だから特殊能力者であって、すごいわけじゃ、全然ない。
もしも自分が「33」であることを気にかけたりこだわってるようじゃ、その時点ですでに「美しくなくて」、33とは程遠い。
いつどんな時でも、人として魂が美しい行為をどれほどしているか、他の人にお手本を示せているか、それが本来のマスター数33の生き方。
今生で33として生きたかったらそういう自分を目指さなくちゃね。


とにもかくにも、今生でどう生きるかは各魂に与えられている自由意思のルールのおかげで、自分で決めて良かったりする。
結果は旅立ってからようやくわかるものなんだけど、「あの選択で良かった」って結末を迎えられるように、自分が選んだ選択肢を今生で全うして(昇華して)いけば、何も恐れることはなし(笑)

だから選ばなくちゃいけない時点で、どっちの選択肢も正しくて間違いなわけじゃない。
もしもそれが間違いだったと思えるのであれば、自分でそういう結果にしてしまったということになるから。

だからこの人生をいつどんな時も美しい心で生きていけばいい。
それができればできるほど、何も心配したり困ることはないし、恐れることもなくなるよ。

良心に従って、真面目に生きてれば、だいじょうぶだいじょうぶ(笑)