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カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

● 当ブログコンテンツの(出典先を明記しないままの)無断転用・引用は固くお断りいたします ●


人格形成と子育ての極意? by 安岡正篤先生

  ■ 心のケアと心理学   ■ 日々のコト。



安岡先生のご本からお借りします。

私は最近安岡先生を「人生のお師匠さん」と勝手に呼んで、勉強させていただいてます。
どの本も、いつも付箋がワサワサ、いっぱいになります(笑)
ちなみに安岡先生は陽明学者で、昭和の激動の時代、代々の総理大臣がアドバイスを求めていたほどの賢人です。
玉音放送の草稿を手掛けたことでも知られています。

運命を開く―人間学講話



人間の徳性(誠実さ、慎み深さ等優れた資質)に基づく性格は、3歳頃から始まって、17,8歳で成熟する。
5、6歳から16,7歳までが、人生で一番大事な時なのであります。
この時に人間が出来上がります。

P69

愛だけでは人格として育たぬのです。
愛と、愛から出づる配慮・世話だけでは人格として育たぬ。
動物としては育つ。
つまり、可愛がって面倒をみるだけならば、犬も猫もやっておることです。
人間と本質的に変わらぬ。
人間が他の動物と違って、人格として、万物の霊長として育つためには、愛だけではいけない。

人間である限り、いかに幼稚であっても、むしろ幼少であればあるほど純粋に、愛を要求すると同時に「敬」を欲する。
敬を充たさんとする心がある。
子どもは、いかに稚くとも(いとけなくとも)、すでに三歳になれば、愛の対象、まず母の愛を欲する。
可愛がられたい、愛されたいという本能的欲求と同時に、敬する対象を持ちたい。
畏敬するという自覚はありませんが、本能的欲求です。
敬する対象を持ち、その対象から自分が認められる、励まされる、励まされたいという欲求を持っておる。
この愛と敬があいまって、初めて人格というものができてゆく。
その愛の対象を母に求め、敬の対象を父に求める。
父のない場合には、その2つが皆、母に集まるわけです。
だから母は非常に難しいことになる。

もちろん、それだからといって、一方は敬だけで、一方は愛だけでというような、そういう区別はありません。
いずれも、それぞれ含まれておるのですが、それを特に分けると、父に敬を求め、母に愛を求める。
言い換えれば、母は、よほど悪い母でない限りは問題ありませんが、父は、よほど心がけなければ、つまりそのいとけない子どもが理屈なしにおのずから尊敬し、その父から認められ、励まされるような、つまり子ども心に何となく偉い父が欲しい。

父は暗黙のうちに、無言のうちに、子どもの尊敬信頼の対象になるような父でなければならないのです。
優しい母が必要と同時に、子どもからいうならば、何となく頼もしい、なんとなく敬慕される父が必要なのです。

ところが、不幸にして世の父親族というものは、家庭を誤解して、自分たちは外に出て、終日働いて疲れて帰ってくる、家庭で休むのである。
家庭というところは、安息所である。
苦労な世間から解放されて、ここでは、やれやれと少々の自儘(じまま、甘え)、気ままも許してもらう所と考えている。
くだらぬ遊びで夜更かしをする、朝寝はする、酒を飲んで怠けたり、怒鳴り散らしたり、ろくなことを子供に見せない。
子どもからいうと、もっと偉くあってほしい。
まだ幼稚ですから、理性的に何も理屈っぽくは考えませんが、本能的に失望する。
これがいけないのです。

先ほども申しましたように、知性というものは派生的なものであり、手段的なものですから、これは大したことはないんです。
本能で直覚するという力が非常に尊いことなのです。
子どもは何だかわからないけれども、うちの親父は?と不満を感ずる親父が、一番子どもに有害なのです。

とにかく、父の責任たるや、実に重大であります。

そこで、やはり妻は夫を、子どものために父として、なるべく立派な父にするように、配慮せねばなりません。
もちろん、夫の方も妻を、子どもにとって父に仕立て上げる必要がある。

”亭主飼育”など、もってのほかです。

そこで、世の中の母が亭主に、すなわち子の父親に対する不満を子供に訴えるということくらい、子どもにとって悪いことはないのです。
それは、深刻な打撃です。
亭主がせがれに母親の不平を鳴らすのも悪いが、母の方はもっと悪い打撃を与えるのです。

こういうことは、近代の社会科学がだんだん解明してきました。
古典に説かれておる先哲の教えがいかに尊いかということを、今さらながら悟らされるのであります。