カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

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数秘11、のこと。


こちらの、中島義道先生のご本を読んでいて、これまでずっと違和感を感じてたことの答えが見つかって。
そこで、そこの部分の要点をまとめて、こちらにmemoしておくことに。

ちなみにこの本、あの林修さんもお好きな一冊だそうです。

「人間嫌い」のルール


他人に無関心な人

P30

だが、善人集団の中には、それほど他人が嫌いじゃない人もいる。
それは、嫌いにならない努力をしてきたわけではなく、ごく自然に、いかなる他人も嫌いじゃないからだ。
かといって、人間に興味がないわけでもない。

そして彼らは、誰と一緒にいても、他人に巻き込まれ、影響されることはない。
動揺する事もない。
自分の価値観や人生観も揺らがない。
どんな集団の中にいても、居心地よくしていられるし、誰とでも分け隔てなく付き合える。

『それでいて、なぜかわからないが、彼らの一人と一緒にいると、無性に虚しい。
この人は、基本的に、自分に(他の人に)興味がないのだなぁということがはっきりわかるからである』

中島先生のお父様もそういうタイプだった。

誰にも愛想がよく、嫌な顔一つ見せない。
誰の悪口も言わない。
物腰は紳士的で、激しく怒ることも、笑い転げることもない。
時々は議論もするけれど、自分の意見に固執することもないし、相手を打ち負かそうとすることもしない。

そしてなおかつ、お父様は、お母さまもお子さんの気持ちがほぼ完全にわからなかった。
何をどう悩んでいるのかがわからないし、わかろうともしないし、理解できないし、理解しようともしていなかった。

『だからしばらく彼と付き合ううちに、人は彼に何も期待しなくなる』

一人ひとりの私的な悩みにはまるで関心を示さない。
そしてお父様自身はというと、ご自分の個人的な問題を自分で解決している。
誰にも、けっして、泣き言をいわない。
全ての人は、そうすべきだと確信もしている。

なので、そういう「些細な」問題に引き回されている人には、いかなる関心をも示さない。

『全身全霊で彼らの悩みを見ないようにしてきた結果、見えなくなってしまったのだ』

誰の悪口も言わないのは、道徳的な理由からじゃなくて、人の私生活や失敗、些細な欠点でも、関心がないからだ。
だから彼は、誰も嫌いじゃない。

そして、こうしたタイプの人は、ごく自然に定職をもち、結婚して子供を持ち、それらの人間関係でも悩まされることはなく、ひとりでいても別段寂しくもなく、他人から批判されても罵倒されても、まったく痛手を感じない。

どんな環境にあっても、自分だけの空間をもっていて、そこでは安全に守られていて、幸せそうですらある。

おそらく、本当は人生の過酷な経験と闘うべく、自己防衛の壁をこれでもかって築いてきたのだろう。
けれど、そういう自分が嫌いでもない、というのがポイント。

多くの人は、自分を嫌い他人を嫌うことに不満や嫌悪感を感じ、それに悩まされていたりする。
けれど、中島先生のお父様のようなタイプの人は、そういう感覚(や感覚を自覚すること)に欠けてしまっている。

だから、完全武装をしているのに過ぎないだけで、人間嫌い、の範疇には入らないのだ。


昔付き合っていたBF(外国人)のケースもほぼそっくりだった。

彼は誰に対してもとても愛想が良くて、親切で善良な、良い人だった。
仕事も真面目に良く働き、しかも几帳面なくらい、お客さまに配慮をし。
だから次から次へと仕事が舞い込んで、大忙しだった(自営業だったので)

そして私に対してもそうで、は常に「I love you」といい、「気を遣って」くれていた。
悩みやグチとかも、熱心に耳を傾け、聞いてくれた。
ほぼ毎日会っていたし(正確には向こうが「じゃあまた明日ね?」って決めてて、私はというと逆らう理由はなかったので、彼の提案にただ従っていたという感じ)、会えない時は向うからマメに電話がかかってきた。

最初は、彼が自ら積極的に「仕切ってくれる」ことが嬉しかった。
本気でこの関係を大切にしたがってて、それで誠実に付き合おうとしてくれているんだろうと思い込んでいた。

けれど時間が経つにつれ、何かが違うような違和感が。
彼の言葉や態度のシリアスさほど、「自分は愛されている」、という実感が乏しい。
なんか、彼だけが熱くなってて、私自身は取り残されてる感じ。
相手が誰であろうと本当は良くて、でもこうして誰かと付き合っていることで、自分が主役の恋愛ストーリーになれている、ということに陶酔しているような気さえした。
でも、それは文化の違いなのかもしれない、という風にも思えて、何ともよくわからない。

そのうちビザと資金が切れそうになり、日本に帰るしかなくなった。
けれども「じゃあ結婚しよう」といった話も出なかった。
あれほど大切にしてくれて、しょっちゅう会いたがっていたのは向うの方なのに。

帰国してからは、ほぼ毎日、彼から電話をかけてきた。
しかもそれが2年位続いた。
でも私からメールや電話をしてほしいって頼んだことは一度もない。
それは、「もしああした積極的でシリアスな言葉や態度が本物だったら、どうして帰国する時、『離れたくない。 結婚しよう。 このままロンドンで一緒に暮らそう』って言ってくれなかったんだろう?」って疑問がずっと残っていたから。
(ちなみに別れの日、空港で彼は「とうとう帰っちゃうんだね?」って泣いていた)

そうこうするうちに、やっとわかったことがある。
彼は「人を愛する」ということがどういうことなのかがわかってはいない人かもしれない、ということ。
けれども、嫌いでもなかったし、(他の人よりは)好きではいてくれたんだろうと思う。
でもそれは「愛」と呼べない。
愛は、表面的で独りよがりな「好き」じゃないと思うから。
私や二人にまつわることは「知っている」けれど、私の気持ちをちゃんと理解してわかっていたとは思えない。
だとしたら、一緒に暮らすことを選んでいただろうと思うから。(もし逆の立場なら私ならそうしていた)
それには、イギリス人ではない私は、彼と結婚するしか方法が無かった、ということも彼はもちろんわかっていた。

とにかくだんだん疑問は強くなり始め、そしてそのことは偶然あるかたからも指摘されて、ますます確信をもった。

そして彼は 過去数3-現在数11の人だった。
その後、セッションで、たまたま彼と全く同じ数秘をもつ恋人との悩みを抱えているかたに出会った。
悩んでらっしゃる原因が、私のケースとほぼ一緒だった。

こういうのって、相手に酷だと思う。
なら、あんなに思わせぶりな態度を取らなければいいのに、と思った。
中途半端なやさしさはかえって残酷だと思う。


もう一人、知人で、この人は過去5-現在11 の人。
一見、ソフトで穏やかで物分かりが良くて優しい人だった。
しかもとても寛容で、かける言葉も温かみがあり、熱心に話を聞いてくれ、まるで愛の人っぽい。
けど、その一方で、なんだか出来過ぎで立派過ぎて、しっくりもしてなかった。
というのも、普段はそういう印象の割に、しょっちゅうべろんべろんに酔いつぶれるまでお酒を飲んでいて、そしてその間ずっと泣いたり弱音やグチを言い続けてたりする(でも酔いが冷めると全く覚えてないようだった)。
(本物の愛の人なら、お酒でうさなんて晴らす必要はないはずで、なのであまりの豹変ぶりにびっくりして引いていた、ということもあった)

そして面白いことに、全員の本命星が、張宿か亢宿さん。
あー。思い出した!!
過去11-現在11のある人も亢宿で、表と素のギャップに違和感がぬぐえない人がいた。
あの小保方さんも過去11-現在11で、宿曜は危宿。
危宿も話がコロコロ変わり、言ってることとと態度(事実や現実)にギャップ(違い)がある、と言われている。

*****

11は2でもある。

それから見える行動パターンは、状況や相手によっては、態度を変える、ということ。
つまり言いかたは悪いけど、二面性(多面性?)があるといえる。

そしてもう一つ、大事なこと。
2は、人と自分の間の、境界。
境界を作る線、でもある。
さらには、2は、一対一の愛。
お互いに、同じくらい愛し合っているからこそ、結ばれた直線はバランス良く、水平になる。
そして愛(の意味)が裏返った時、その反対は、無視や無関心になる。

そう考えていくと、中島先生の意見(お父様の記述)と重なっているように思う。

けれど、そうした違和感や矛盾は、よほどその人と頻繁に会ったり、観ていないとまず気づかないままだろう。
「なんか、変。 おかしいな?」とは思えない限り。

おそらく大多数の人は、その人に、「温厚で親切で優しくて善良な人」という印象を持つだろうと思う。
そしてご本人自身も、実は内側にある真反対の2つの個性や価値観を、相手や状況によって使い分けているといった自覚もおもちではないだろうと思う。

もちろん、全員がそう、じゃない。
それに "程度" も違う。

ただもしかすると、数秘でよくいわれている、11のつかみどころのなさや不思議ちゃんな所は、そうしたことが発端になっているのかな?と思っている。

それと、もしも思い当たることがあるなら。
下手をすると孤独になる。
それは、信頼できなくなったり安心して付き合えなくて、周囲の人の方から深入りしないよう、線を引いてしまうことになりかねないから。

11と2は、どちらも寂しがり屋なはず。
もしも今孤独や寂しさを感じてらっしゃるなら、こうした理由のせいかもしれません。