カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

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数秘術の過去数と、前世/過去生のこと。


先日の記事 の中で、過去生(前世)について、私の意見を書きました。

ただ、後から、読みようでは過去生の実在自体も否定しているように読めてしまうかも?と感じまして、少し補足させていただこうと思います。

改めて結論から申しますと、"過去"生はあるとみなしていますが、けれども現世でわざわざそれを思い出そうとしたり、誰かに聞いて教えてもらう・もしくは教えるという行為は、疑問で反対、なんですね。

なぜそうなのか、理由は先ほどの記事に書いていますのでここでは省略します。

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その中で、「信ぴょう性」という点について、別の観点から、もう少し詳しく書いてみたいと思います。


「前世や過去生」はあります。
実際に追跡調査で一致した例も多数あります。


ただそれは、厳密には、霊界で、自分が属する霊的コミュニティ、つまり類魂仲間の記憶である可能性が濃厚なんです。

類魂(グループソウル)の中では、"個人個人の"記憶(情報)が、そこに属する全員で共有されているそうです。
なので、自分と人の、個別な境界があいまいになっています。

すると、類魂の中では、そこに属する全員で一人といった感覚に。
まるで「集合意識」のよう、ですね。

とにかく、図書館にある本を交替で借りて読むように、霊界ではみんなで、記憶や思考などを共有しているようです。

ということはつまり、厳密にいうと、必ずしもわかった過去生は本人の体験ではなく、他の霊(類魂仲間)のものである可能性がかなり高いんですね。
ですが、霊界でも特に上級界ではそれが普通で当たり前。
しかも、その記憶が誰のものであろうが問題ないしこだわりもないようです。


類魂の仲間の中には、地上に一度も生まれ変わらない霊もいれば、ほとんどが、多くて3,4回ほどしか直接転生しないそうです。
そして、類魂全体の意識(波動)が上がった時、自分だけじゃなく、そこにいるみんなで、またさらに、神界に近い場所に移動していく、のだそうです。
(一蓮托生、運命共同体という言葉は、霊界の成り立ちにも当てはまる気がします)


そのような理由から、どういう方法であれ現世でわかった前世や過去生の情報は、もし真実だったとしても、本当の意味で誰のものかがかなりあやふや。
しかも、いくら共有できるからといい、そのリアリティは影響の強さは、体験した当事者である霊(類魂のパーツ)にはかないません。
さらにいえば、そこに邪霊によるいたずらも絡んでいます。

そうした理由から、
「(自分自身が経験した本物の)前世や過去性はわからない(見分けようがない)」
だから
「前世や過去生を知る必要はない(うかつに信じてしまわないために)」
というのが私の意見です。

いずれにしましても、前世の存在や内容に関する情報・知識というのはそもそも、「人は死なない」「死んだらどうなるのか? 何が起きるのか?」ということ、さらには「ではこの地上生活で私たちはどんな風に生活すべきか?」といういうことを理解して、実際に実行していくための、きっかけにすぎないし、その程度の扱いで留めておかなければならないと私は思います。
ただ、人が死なないからこそ、その前提で、「生まれかわり」も「前世」の理屈も成立すると思っています。


ということで、こうした類の情報を知る本来の意義や目的は、ここにいる間、少しでも、自分の霊格(心)を高められるように心がける大切さに気づき、実行していくことではないでしょうか。

自分は過去でこんなにすごい人だったんだ!、という考えに魂の目を曇らされ、心を奪われるのではなくて。



最後に、一部のかたに、お詫びです。

セッションや数秘術のレッスンの中で、過去生という表現を使ってアドバイスさせていただいたり、お教えしています。
が、こうした事情までをも丁寧に説明できるほどの時間はないので、結論の部分だけをはしょって、「前世/過去生はある」という前提で、お話させていただいてきました。

そしてこうした類魂説によれば、自分(自分たち)の前世は 100も200もあるかもしれません。
繰り返しになりますが、だからといって、それが全部 "自分で経験した記憶" ではありません。
そのほとんど、もしくは全部が、類魂仲間による経験の記憶、になるようです。


地上に生まれてくる際は、類魂の集合意識(記憶の貯蔵庫)から、自分の霊的成長に役立つような過去生の記憶を選び、それをインプットして、ここに生まれてきます。
それが、数秘術の過去数が示していること、内容 です。


ということで、わかりずらく、ややこしい話ですみません。

先日の記事をご覧になった一部のお客さまには、私の説明不足のせいで混乱させてしまったかもしれません。
そのようでしたら、申し訳ありませんでした。