読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

● 当ブログコンテンツの(出典先を明記しないままの)無断転用・引用は固くお断りいたします ●


数秘術ーライフパス33への誤解



こんにちは。

私は、数秘術とスピリチュアリズムの間は、切っても切れない関係があると思っています。

数秘術はそもそもカバラ思想から始まったもの。
そしてカバラは大昔からのユダヤ民族の「人がよりよく生きるための智慧」みたいなものなので、その教義の中には必然的に霊的生命を意識したスピリチュアリズムや死生観みたいなものも含まれています。
そこで、その延長線に、9種類の普遍数とは別に、マスター数と命名されたソロ目の数字とその解釈というのがあると個人的には考えています。

****

話は変わりますが。

真の霊能力者や霊媒(チャネラー)になるためには、元々生まれ持った能力の他に、霊性の純度・高さが不可欠です。
それは、自分のみならず、守護霊や指導霊など、善の背後霊たちの力も借りる必要があるためで、彼らは「穢れ」を嫌うからです。

もしもその能力者の心の奥に「穢れ」があれば、それはすぐさまオーラに反映され、霊たちの目には一目瞭然。
言い訳もごまかしも利きません。

すると、善霊たちはあっという間に、その人間から離れてしまいます。
そうしますと、それまでは善霊を嫌って遠くから様子を伺っていた邪霊たちが、待ってましたとばかりに、その人間に近づいて、直感によるコミュニケーションを通じてあらぬことを吹き込んで惑わしてはそれを楽しんだり、人間のオーラの中に侵入して(憑依)、精神や思考を支配したりもします。
それはあたかも、ゾンビが人間に襲い掛かっているようなおぞましい光景だと、高級霊たちは言っています。

とにかく、善霊たちとの絆が深いことによって、そうした邪霊たちが寄りつけなくなるのですが、そのために欠かせないのが、自分の心(我、エゴ)の徹底した浄化です。

日本のスピリチュアリストの草分け的なかたである脇長生さんも、「エゴや我を無くす努力が欠かせず、それにはただ、奉仕の精神や行為があるのみ」とおっしゃっています。
そしてこのことはシルバーバーチをはじめとする高級霊との交信(チャネリング)でも、度々出てきます。

*****

さて数秘術で、このように「高潔で高尚な奉仕の精神」といえば、11,22,33のマスター数に共通する、課題やテーマです。
それらの内で「33」は特に、利他愛や奉仕の精神や活動を率先して行うことが求められています(正確には、それが普段の、自然で普通の状態ということです)。

そんな33の「奉仕」とは、例えば。

自分のことは二の次三の次。
相手の立場になって気持ちを察してあげ、いたわり、さらに、バランスが取れた知恵(理性)と愛で献身的に支えようとする。
それは、33は菩薩行を象徴する数 だからであり、無私無欲の献身です。


読み方を誤解されている方が多いように思うのですが、ライフパス数というのは、その人が魂レベルで、地上生活において目指している「なりたい自分や姿」の理想像です。
なので、数字の(良い)特徴がすんなりと出ているわけではありません。
中には、おいくつになってもマスター数が出てこず、単数に換えた方がぴったりなご性格や人生をお過ごしの人もいらっしゃいます(特に家族間のいざこざが絶えない、病気や貧困など、悩みや心配事が絶えない等。 真のマスター数の質が開花していれば、中年期ごろまではそうした試練があったとしても、その後激減して、むしろ良くなってゆくはずです)。

当事者であるご本人がその数の象意(自分にふさわしい理想的なあり方)を意識して、それに近づこうと努力をしたら、初めて、そのマスター数らしい長所や能力(潜在能力)が目覚め、花開いていくのです。

あれもしたい、これも欲しい。
こうでないと嫌だ。
グルメで最新流行のファッションに身を包み、遊びごとや贅沢が好きなマスター、というのは、本来ありえないはず、と思います。

(余談ですが、食い意地が張っていたり酒好きは、どれほど優れたサイキックがあってもそれらのせいでグレードが下がり、また邪霊が憑きやすいです。
いろんな交信を見ていると、霊媒は「たらふく食べてはいけない」と必ず言われます。
スウェデンボルグも手記の中で善なる背後霊に「そんなブタのように食い漁ってはならない」と厳しくとがめられたと書き残し、実際、彼は、日にビスケット数枚しか食さなかったという記録があります
それがこちらです ※『スウェデンボルグの霊界からの手記』から抜粋いたしました)

イギリス滞在中、夕食を済ませ、自分一人しかいない店内でくつろいでいたスウェデンボルグ。
すると突然、床の上に、蛇やガマガエルなど、気味が悪い生き物がそこかしこに現れた。
彼はその様子に気が動転するほど驚いたそう。
だがしばらくするとその生き物たちは消えた。
するとその後「異様な雰囲気の」人物が現れたかと思うと、彼の過食を注意し、消える。
そして翌日の夜。
その人物は夢の中に再び現れ、その時から、スウェデンボルグは幽体離脱をし、霊界に行き来するようになったのだそうです。
つまりその奇怪な人物は彼の背後霊だったと思います。


もしも魂向上の学びをサボっていると、例えライフパス数がマスター数であっても、単数の波動レベル(霊性レベル)にまで落ちています。
つまり、マスター数として読んだ場合の象意が、ほとんど当てはまらないのです。
さらに特徴的なのは、運勢のバイオリズムが狂っているということです。
本来は好調期なのに、トラブルばかりで、良いことがなかったりします。

しかも、もっと悪いのは、ネガティブな側面が、単数さんたちのレベルよりもさらに強化されてしまう、ということです。
それは、中身が善であろうと悪であろうと、潜在的にはマスター数と呼ばれるほどのパワーを秘めているからだろうと思います。

*****

ライフパス数がマスター数の場合、程度は違えどサイキック能力がおありだと私は思います。

けれど、霊能力とサイキック能力の違いは、前者は、背後霊たちが自分のサイキック能力を陰から援護してくれるため、サイキックよりもより高度でハイレベルな成果を挙げることができる、という点だと思います。
超能力者と霊能力者では、霊能力者(ができること)の方が霊的には格上です。

また、超能力とは、その人間が生まれ持った体格や体質と申しますか、運動神経の良し悪しのような力なので、霊性の中身は関係ありません。
サイキック能力のあるなしや高さとその人の霊性の高さは、必ずしも正比例していないのです。
ですから霊的な鍛錬などしなくても意のままに使えます(だから邪霊に狙われやすい)。

けれどもその超能力者が、スピリチュアリズムに芽生え、心の浄化や奉仕を始めた時、高級霊をはじめとする善霊たちが集まってきて、共に仕事をしようとします。
するとサイキック能力が、霊能力(者) と呼ばれるものに変わるんですね。


*****

ということで、これは特にライフパスが33の場合に言えることですが、もしもサイキック(以下)どまりでしたら、むしろ単数の「6」とするのが適切です。

つまりまだまだ自分優先で、我や欲に支配されていますので、高級霊や善霊は近寄ってきません(ただ人間界ではこれが普通です)。

このようなことを書いています私自身も含め、ほとんどのLP33さんたちはまだまだ我と欲が強いので、個人の性格や能力・運勢は、ライフパスは「6」の方が当てはまりやすいです。

けれどもしも我(自分はという意識)や欲を無くして向上しようと真摯に努力を続ければ、(他の数字を持つ人よりも)33の菩薩の境地 に近づいてゆけます。

ただそうなるにはひたすら、辛抱と我慢、謙虚と学びを地道に重ねていくしかありません。

(インペレーター霊によれば、イエスが生前地上で、スピリチュアリズムの布教や奉仕活動をしていたのはたったの3年。そしてそれまでの30年は、そのための修業や準備に費やしたのだそうです。イエスでさえ30年です。また3年で亡くなったのは想定外だったそうです)


*****

ライフパス数が33であるということは、今は6の霊格なのだけれども、自分から進んで霊的進化向上の努力をしてゆけば、そうなれる可能性がありますよ、ということを示唆しているだけに過ぎないのです。

とはいえ、案外、自分の中の我や欲を正当化してしまいやすいもの。

欲を見分ける方法としては、他に対して「望むこと(期待や不満)」がある場合、態度でもモノでも欲しいものがある場合、それは「欲がある」といえます。
ですが、33状態というのは、自分というエゴがなく、他に対して何も望んでいないんです。
我もエゴも無くさなければならない。

それくらい、数秘33として存在することは過酷で難しい ことなのです。

自分はマスター数33だから、11や22だから、といってそれにこだわって自慢したり、特別意識をもって慢心すること自体、その人の霊格が未熟で低い、つまりいまだ「単数の波動しか帯びていない」証拠 と言えると思います。

ということで、脇先生のご本 から、関連する部分を抜粋してご紹介したいと思います。


収入が増したり、思わぬ金が入ると、凡夫はこれを浪費する。
実はこの金は、次の生活、次の事業、次の世代のために必要があって入ってきたのである。
それゆえ、これを浪費すれば、いざその時になって必ず困って苦しむ。

金が入ると自分の力によって入ってきたと思いがちだ。
ところが人は、周囲の人や物、宇宙のすべてによって生かされているのが実状である。
それを、自分の力、自分が偉いと思う所から、我が出て、浪費する。
これが次の失敗や苦しみを生む。

物や金には、すべて、霊的な力が加わっている。
一枚のお札、一円の小銭でも、その気持ちになって使ってやれば、後で必ず報いられる。

神霊主義者は霊魂を認めるから、物質に捉われない。
この精神に守護霊が働き、中流以上の生活が保証される。
正しいお金ならいくら出してもよい。
必ずまた入ってくる。
損をしてもお客を喜ばせてよい。
別のお客からまたちゃんと入る。

今日(こんにち)の人は唯物的で、取ることばかり考えている。
これは没落への道である。
心からの奉仕をもっていれば、守護霊が働き、その働きが商法に現れ、繁栄する。

すべて霊魂の働きが、幸福も不幸もつくる。

こうしなければ食べていけない、あぁしなければ子のため老後のためにならない。
イライラして生活に統一がないから、ゆとりがない。
ゆとりがなければ、良い霊が働かない。

人は何か事をしようとする時、とかく欲がある。
まず自分の心を整えよ。
欲をもたず、世のため奉仕のため、自分の力の範囲でやる事より出発せよ。


**

中に、今の仕事が自分の使命の道か?と疑う人がいる。
これは仕事が嫌になった証拠。

そもそもこの仕事に就く時、どんな気持ちだったかを考えよ。初心を思い起こせ。

今の仕事は自分の因縁からやるようになったと考えて、その仕事に奉仕せよ。

商人なら世の人の喜ぶことを考えて奉仕せよ。
学生なら学問を身に着け、学問に奉仕せよ。
かりに乞食でも、この奉仕の気持ちを貫け。

その時、その仕事がもし使命の道だったら、ますます成果上がり、そうではなかったら、奉仕の心は守護霊に通じ、次第に使命の道へとなってゆく。

要するに、何が自分の使命か?などということに心を煩わさせることなどせずに、現在の仕事を通じ、奉仕に励め。
帰するところは自己の心身の浄化、意念の統制、これに尽きる。

**

守護霊に頼る、善意に頼る、精神統一に頼る、指導者に頼る。
こういう人は必ず、責任を他に転嫁する。
あの霊魂の仕業であると。
とどのつまりは、何でも霊媒に頼り、背負い投げをくって不幸になる。

人間は、使命を達成するに必要な能力が備わっている。
それは自分のためにあるのだから、自分で開発させる。 
この時、使命が達成できる。

自己責任の気持ちがあれば、必ず援助者が現れる。
すなわち、その心に応じて、守護霊が動く。


人の心は表面だけではダメ。
腹を立てるなと言うと、うわつらだけ、腹を立てない。
この人の心の奥を調べると、嘘つき。
背後を調べると、表面だけ上手くやっていればよいという亡霊が憑いている。

ところが、本人は、自分の心は裏も表も清いと思い込んでいる。

これではいくら除霊しても、また同じような霊が憑く。
病気も治らない。