カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

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【Memo】 道をひらく


経営の神さま、松下幸之助さんによるこちらの本からの覚え書き。

道をひらく

本気になって、真剣に、志をたてよう。志あるとこと、道はひらけるのである。
道がひらけぬのなら、何かを成したいというその思いに、今一つ、欠けるところがあったからではないだろうか。


真剣勝負とは文字通り、防具もつけず、真剣で切り合うこと。
人生は真剣勝負である。
だから、どんな小さなことにでも、真剣にやらなければならない。
もちろん、窮屈になる必要は少しもない。
しかし、長い人生、ときには失敗もあるなどとのんきはいけない。
これは失敗した時のなぐさめの言葉で、はじめからこんな気構えでいいわけがない。


雨が降れば傘をさそう。傘がなければ、一度は濡れるのもしかたがない。
ただ、雨があがるのを待って、二度と再び雨に濡れない準備だけは心がけたい。


万が一にも誤りのない、100%正しい判断なんて、まずできるものではない。
それは神様だけがなしえること。
おたがい人間としては、せいぜいが60パーセントというところ。
60パーセントの見通しと確信ができたならば、その判断はおおむね妥当とみるべきだろう。
そのあとは、勇気である。 実行力である。
いかに適確な判断をしても、それを成し遂げる勇気と実行力がなければ、その判断は何の意味ももたない。
60パーセントの判断で、100パーセントの確実な成果を生み出してゆくのである。


七度転んでも八度目に起きればよい、などとのんきに考えるなら、これはいささか愚だ。
一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。
一度で気づく人間になりたい。
そのためには、転んでもただ起きない 心構えが大切。
それは意地汚いことではない。
先哲諸聖の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。
意地汚かったのではない。 真剣だったのである。
失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい。


刻々と変わりゆくこの世の中、あすをも知れぬ人の世で、神か仏でない限り、絶対に間違いのない道など本当はないのである。
だからこそ、お互いに過ち少なく歩むために、あれこれと思い悩み、精いっぱいに考える。
その果てに、他に道がないから、だからこの道が一番よさそうで、そう考えて、それでもまだ心もとないのだけれども、心もとないままでは仕方がないから、そこに勇気をふるって歩み続けるのである。
自らを励まし励まし、歩みつづけるのである。
確信ありげに見えても、ほんとうは手さぐりの人生で、つつましやかなものなのである。


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この世の中に、けっして、ボロイことはないのである。
ラクなことはないのである。
どなたさまも、やはり一歩一歩、地道につみ重ねてきた着実な成果をあらわしておられるのである。
濡れ手に粟なのは、一時はそれで過ごせても、けっして長続きはしない。
結局は失敗になる。
ものの道理をはずれた望みをもつというのは、それこそ、欲が深いというものである。
そして欲が深いは失敗のもとである。


危機とは転機の自覚がないことをいうのである。


人々はみなつながっているから、自分がつまづけば、他人も迷惑する。
他人に迷惑をかけるくらいなら、自分ひとりの知恵で歩まぬ方がいい。
わからないことは、聞くことである。
知らないことは尋ねることである。
たとえわかっていると思うことでも、もう一度、人に聞いてみることである。
一人の知恵が二人の知恵になるのである。
二人が三人、三人が四人、多ければ多いほど良い。
衆知を集めるとは、こんな姿をいうのである。



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