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カバラ数秘術のBlog

静岡在住カウンセラーが、カバラ数秘術と心のケアについて、気ままに書いています。 ちなみにライフパスは33です。

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「違いがある、差がある」、だから何?

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今日から12月ですね。
世間では激動だったイメージが強い2016年も、残すところあと1か月でおしまい。
とにかく年末までは引き続き気を抜かず、このペースで駆け抜けたいなと思います。

***

さて、話は変わりますが。

はるか遠い昔、まだ学生の頃に、「身長が10センチ違っただけで、考え方や価値観/人生観が大きく変わる」という話をどこかで聞いて妙に納得し、そしてこの話は今でも忘れられません。

なぜそういうことがいえるのかっていうと、それはおそらく、視界の広さや距離の遠近が違えば、物事の見え方も違う=受け止め方が変わる、"気づきかた"も変わるせい、じゃないかなと私は考えてます。
また、周りの接しかたや置かれる立場ももちろん変わりますでしょうし。

たとえばもしも「背の高い人と低い人の印象や特徴は?」と聞かれたら?
背の高い人はおおらかでのんびりしてる印象があって、背の低い人のほうが活発でにぎやかな印象、なんてことをぱっと頭に思い浮かべる人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

また、身体的に「できること」「得意とすること」も違ってきますよね?

そして、人って誰もが、自分がしてきたそういう体験を通じて、学んでいく/価値観や信念を築いていく、なので人格(その人らしさや個性)が出来上がっていくって思うんですね。

そうした中に、男らしさや女らしさ、といわれる違いが自然と出来上がってくると思うんです。

なんともうしますか、人の個性を、おおざっぱに分類するのに、男らしさと女らしさが、一番共通の認識として話が通じやすい(コミュニケイト/会話しやすい)というか。
こうしたことが浸透し始めた頃は、その言葉の裏に、「差別的な意識」はなかったんじゃないか?と思います。

(逆に、男とか女でもない、第三の性って、具体的にどういう特徴?と聞かれて、その答えを世間の人たちがすんなり共有や共感ができるとは私は考えにくいんです)


****

最近、男らしさとか女らしさ、みたいなことを言うと、時代遅れとか、下手をすると差別だみたいに目くじらを立てられるようになってきてる気がするんですが、私はちょっと違うんじゃないかと思うんですね。
そんなに世間のルールの白黒(正誤)をはっきりさせなくてもいいんじゃないかって。
というのも、どんなに頑張ったって、生物学的な性別は、創造主が作った性別は、2つしかなくて、それは変えられない真実(真理)だから。

問題なのは、外見とその人が望む「らしさ」が一致していない場合、その人を白い目で見てしまう態度のこと。
これはその人を傷つけますものね。
で、spiritual に「なすがまま、あるがまま」な物の見方をしていくと、「その人がどんな格好をしようが、誰を好きになったって、本人同士がHappyなら、関係のない他人はとやかく言ったり、口に出さなくても嫌悪するのはおかしい。 生物学的な性別じゃなくて人間同士のLoveじゃないの?」って感覚をもつのが自然なんじゃないかなと感じます。

ただね、そこに性的な嗜好が入ってくるとおかしなことになるかもとも思ってます。
というのもセックスはそもそも子孫を残すための(霊が宿る肉体を作る)神聖な生殖行為。
なので、趣味や娯楽にするのには違和感があります。
それはちょっと野生的動物的で、霊的には進化じゃなくて、退化なんじゃないかと。

愛がほんものならセックスなんてしなくても、つながってられる。
母子やきょうだいのように。
けれどセックスをしないとつながれないというなら、それをしなくなると別れてしまう、ということになり、であればそれは条件付きの愛であり、本物じゃない。

なので、第三の性?で生きることを選んで、なおかつそれを受け入れてくれた相手とはセックスなしでは "愛し合えない" というのであれば、私は霊的世界観からすると、それはもしかして単純に欲望からくるものなんじゃないか?って、すごく違和感があるのです。
その人の性的嗜好からくるものじゃないかと。

さまざまなチャネリング(霊との信頼がおける対話)記録を見ていると、霊界ではセックスはしないそうです。
それは単純にする必要がないから。

霊は、自分自身を霊的に高められるよう、学習するために、地球に生まれてきます(ほかの惑星にも、ですが)。
そしてそこで生活するための宇宙服、つまり肉体が必要になります。
また、肉体というのは、寿命などや衣食住の制限があり、自分に負荷をかけて修行するにはもってこいの道具になります。
なので先に生まれた霊の先輩である人間は(地球人は)セックスをして子供を作ることで、地球に降りてきたい霊たちのために肉体を提供するようになっているのだそうです。

なのに、最近はあまりにも性的な関心が高まって、それを娯楽やファッションとさえみなしてしまう(軽々しくする)風潮に、私は違和感がぬぐえないんですね。

ほかには、ストレスフルな時代に生まれた人たち?生きる人たち?ほど、性欲や攻撃性が強くなる、というのを何かで見かけたことがあります。
身の危険を感じて、一人でも多く子孫を残そうとする本能が働くんでしょうか。

それと、悟り世代と呼ばれている人たちが、あまり性欲が強くないわりに他人に対して優しい人が多いというのは、これは霊的にかなり高いレベルの人たち(霊たち)だという風にも見ています。
つまり、21世紀を担う=時代の大激変の混乱から、より良い方向に向かって引っ張っていける、霊格の高い人たちともうしますか。

少子化問題はさておき。

****

ということで。

男らしい人もいれば、女らしい人もいる。
これは完全には否定できないこと、つまり事実です。

なのにそういう個人の見方さえも、否定してしまうこと自体が、大勢に合わせたがることが、そもそもおかしいでしょ?(自然ではない、真理ではない)と思うんですよね。

逆に、あれもありで、これもありだよね?って、みんなが「違い」に目くじらを立てなくなったら、気にならなくなったら、性差の問題なんて普通で当たり前になって、どうでもよくなる。
話題にすらならなくなる。

スピリチュアリストとしては、私たちが目指すべきところはそれなんじゃないかと思ってます。

争いが起きるのは、「差」「違い」のせい。
お互いの差や違いを「違う=排除したい」という風に意識するせい。

だけど現実には、地上での差は永遠になくならない。
なぜなら、spiritualism の観点からいうと、地球は霊たちの修行場であり、そのストレス(負荷)がなくなってしまうと、トレーニングにならないからです。
けれど、全体はそうであっても、個人レベルで「違いが気にしない、気にならない、肯定や尊重ができる」ようになることを目指してて、そしてそれができてくればくるほど、不思議と、その人はどんな世の中にあっても生きやすくなるんです。

ただし、解釈を誤っちゃいけないのは、邪心や強欲さ凶暴さまでも肯定し、受け入れてはいけない、ということ。
嫌って排除しようとするんじゃなく、できれば距離を置くこと。
(もっと理想をいえば、愛しましょうになると思うのですが、それにはあと何百年もかかりそうなので、とりあえず今の時点ではこれで十分OKじゃないかと。 あと高級霊たちも邪霊たちのいる場所には近づきたがりません)

なぜなら、高いものを目指すのは簡単なことではなく、一方で、低いもののほうへと転がり落ちていくのは(堕落)とっても簡単だから、です。
そして人は誘惑に弱いから。
また、低いところにいる人が助けを求めてきたら、それは無視しないで応じること。
勇気がいることだけれど、霊的世界レベルでは、とても立派な行為(徳)になるんですね。


ということで。
こんなことを書いてる私自身も、毎日失敗だらけで、なので自分自身に言い聞かせるために(爆)書いてみました。

違いがあるのは現実だし、事実。
だけど、大事なのは、その違いを(感情的・感覚的に)悪い風にはとらないこと。
その「差」を逆手にとって、自分にとって有利になるほうへと生かそうとするとか、楽しむこと。

そんなことが自然にできる人間になりたいです。


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