カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

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むやみに "ありがたがる" 発想は、うつを助長させる可能性あり。

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ブロガーさんたちの中には、悩んでいて、辛くてたまらなくて、それで人目につく場所にあえて発信してらっしゃるんだろうなと思えるかたが、少なくない気がします。
とはいえそれは私自身の性格や好みが、そうした出会いの多くを無意識に引きよせているせいかもしれません。

ただ、SNSで吐露したくなる気持ちも、私はわかるような気がします。


自分にも悪いところはある、こんなことをしちゃだめだってわかってるんだ。
けれど一人でももんもんと抱え続けるのもますます苦しくてたまらない。
悩むだけ悩んだけれど、どうしても解決できないんだよ。
八方ふさがりなんだ。
もうどうしたらいいのか、わからないんだよ。
誰か、たすけて。

でもかといって、安心して打ち明けられたり、相談できる人が誰もいないの。
SNSは匿名制で自分の身元や素性がばれない。
それに、見てくれている人たちの中には自分の辛さをわかって、反応してくれる人がいるかもしれない。
でも直接のリアクションはいらない。
もしもそこに自分がまた傷つくようなことが書かれていたら嫌だから。

ただ、思い過ごしや妄想でもいいから、ネットでは自分のことを心配したり気にかけている人がいてくれる、そう思えるだけでほっとして、苦しさがまぎれるんだ。。。

だから、こんなことをしたら迷惑かけちゃうなって思うんだけど、でもやめられないんだ。


って感じかな?
推測だけど、"遠からず" かな?っては思えます。


中にはこうした投稿(アピール)を嫌がったり、小さな言い間違えやミスを「それは違うだろ」って否定してくる読者もいらっしゃいます(よそでしょっちゅう見かけます)。
一般論でいうと、確かに、見たくなかった人にしてみれば、反発したくなるのも自然な反応。
それに、心が弱っている投稿者のみなさんの多くも、ほんとはしないほうがいいことを、頭ではわかってらっしゃると思うんです。
だから、大小の程度に関係なく、ぽちっっと押して公開するときは躊躇されているはず。

ただ、この場合、そもそも投稿している意味や目的が「助けて」「困っています」なので、その期待から外れた、例えば『そういう考え方は間違えている』とか、『そういう時はこうすればいい』とか、ましてや『その日本語、おかしくね?』とか。
そんな批判やお小言を、その投稿者のかたは求めていないはずなんですよね。

なのでここはひとつ、「大目に見てあげる(せめて見て見ぬふりをしてあげる)」のもやさしさだし、大人で立派な態度かな?って思うんです。

それに、こういうケースで理屈や常識を盾にして積極的に否定や攻撃の声をあげる人と、良いとか悪いとかのジャッジメントはいったん脇において、悩んでたり困っているだろうことを察して温かい気持ちで受け入れてあげる人と。

みなさんはどっちの人と仲良くしたいですか?^-^


私の感覚では、発信したかたたちが本当は何を期待したり求めているのか、またどうしてこういうことをするのか?、その心理や事情に気づかない(気づこうとしない)読者の数のほうが圧倒的に多い気がします。
だから、ぐさっとストレートに刺さるような、遠慮のない批判や否定が、悪気なくできるのだろうと思います。

そうでなければ、もしも確信犯でそういうことをしてるなら平気でできるなら、その人はもしかしたら良心が欠如している「サイコパス(反社会的人格者)」の傾向がおありかも?です。


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一般に、自分が平気で(無意識で。それで正しいと思っている)していることは逆に人からされても気にならない、平気だったりします。
なので、人の痛みや不快感に疎いかたの場合、ご自分が人から攻撃されてたり何かの理由で悩んでいても、実は自分の心が痛んだり膿んでいることにも気づきにくいと言えるかもしれません。(気づかないとますます悪化していきますから、早く気づいたほうがいいんです)

世間では、人をいじめたり悪く言う人を「かわいそうな人」という風に言ったりしますよね。
それは、その人自身が巡り巡って自分を傷つけているのに気づいていないことを指しているのかもしれません。

反対に、人の痛みがわかる人は、(そうじゃない人よりも)、ご自分をいたわることもうまいはず。
そして自分を大切にしようとするかたは、ご自分の命も人生も大切にし、楽しかったり感動的だったり。
そんな風に、できるだけ素敵なものにしていくことについて、前向きで意欲的だったりしそうです。


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話は変わりますが。

うつを始め心が弱っていたり病気になっている人は、自分の人格(自尊心とか?)が傷つけられていることに対して疎くなるそうです。
そうして無意識に自分を傷つけ、いじめるようなことばかりしてしまう。
すると、人からの批判を、理性的に判断しておかしいものはおかしいと抵抗しようとするよりも、下手すると「言ってくれてありがたい」なんて、感謝して受け入れてしまうようになる (なんでもかんでも「感謝して受け入れましょう」という呼びかけはリスキーで、むやみに勧めてはいけないと思います。特にうつのかたや、うつ予備軍の方には悪化させる恐れが高いので厳禁のようです)

そして無意識にそうしてしまう裏には、自尊心や自己肯定感の低さが隠れてる可能性が。
「どうせ私なんて」「私も私の人生もゴミと同じで意味も価値がない」「自分は無力で非力だ(自分自身や自分の人生を思うように動かせないことへの諦め。絶望感)」です。



あー、なんてことも、自分がうつでさんざん悩んだおかげでわかったことなんですよ(笑。
なりたくてうつになったわけじゃないからよけいに。
7人のうちの一人に選ばれた(爆)、そしてその人たちにだけしか経験できない貴重な経験ができてほんとによかったと思います(公私の両面で^^)。

情報や知識をせっせと頭に詰め仕込んで増やすこと(勉強すること)は誰でもできること。
けれど、ただ覚えているのと、わかる(理解の深さ、正確さや的確さ、応用しやすさ)のは違うと思ってます。
記憶(知識)と感情(気持ち)や感覚が結びついた時に、その時その場の自分にとって最高で最善の判断や経験ができると思うんです。

そして、「そういうとき、どんな気持ちになるか?」ということは、自分が経験してみないと、ぱっと口に出てきたり、"ありのまま正しく" 表現することもできないです。
あ、俳優さんの演技に求められているものと一緒かも、です。

だけど、誰だって、病みたくないわけです。
でも病気になっちゃった。
これはラッキーちゃちゃちゃ!です。
おかげで、人の「キモチ」がわかるようになり、コミュニケーションもうまくなり、穏やかで信頼の絆で結ばれた人間関係を築くのがうまくなれます。

だから、心を病んだからといって恥ずかしがる必要はありません。
むしろ、ほかの人が知りたくても知れない貴重な経験や知識を持っていることで、その病いと闘ったり克服したことは誇れることだと思います。

逆に病気になって戦っている人を(うつは希死念慮があるので命がかかってる病気です)、けなしたりからかうなんて、それは悪魔がすることですよ。


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ということで。
勉強ができる頭の良さと、人間(や人間の心理)を理解できる頭の良さは別物と思います。

だいたい、次の霊界が本当の自分の居場所になるわけで、そこでは人間界では通用する学術的な知識は、まずどれも通用しないし役に立たないのだそうです。

なので霊界では、地上時代ではとてもえらかった学者先生が、未開の地で暮らしていた原住民の人たちよりも霊性ははるかに低く、そのため霊界でも低級界で暮らしているケースが少なくないそうです(スピリチュアリズムの霊との交信記録から)

それを、体外離脱体験で繰り返し目撃させられたから、なので、スウェーデンボルグも未練なくあっさりと学者の地位や権威を捨てて、自分が見聞きしてきた霊的真理の普及に貢献しようとしたのだろうと思います。

なので私は、人は、学歴(勉強ができる)や肩書きばかりが大切じゃない、って思っています。

そして私にはそれらはないけれど、でもその代わり、情緒や心に関することは得意なので、学歴もないし勉強ができなくても、この自分でいいかなと思ってます^^。
そもそも知性と心、その両方を同時に高いレベルで持つのって、相当難しいことと思いますし。


あー、なんか取り留めもない内容になってしまいました。

今日はこの辺でストップしておきます。



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