カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

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この世に無駄な経験なんて一つもない、怒りさえも。


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昨日は5年ぶりのお客さま。
記録を見てみると、最初にお目にかかったのが10年前。
その間も時折声をかけてくださって、しかも新幹線に乗車されたり車で高速を飛ばしてまで富士まで足を運んでくださってるその期待や熱意に、十分応えられていたらいいのだけれど。。。
Sさん、ありがとうございました!
それから楽しかったです! ^o^


****


今日は、その中でお話していたある事柄について、書いてみたいと思います。
昨日は前後の流れから深入りしないでざっと流してしまいましたが、あとになってふと思いついたことがありまして。
自分でも、そういえばそうだなぁと思ったりして。


感情の種類には大まかに、喜怒哀楽がありますよね。

で、怒と哀については、内にもっても出してもいけない、良くない感情、みたいに受け止められがちです。

けれど、私は、出し方(表現の仕方)に問題があるだけで、それ自体が悪いものだとか、持ってもいけないとは思っていません。
喜怒哀楽、この4つの感情がワンセットで、心の調和やバランスが取れているような気がするからです。

それに怒りというのは、自分の身を守るため(防御)だったり奮起して何かをする際の行動のスイッチになっていると思うんです。
健康だけでなく、命や暮らしを守るために欠かせない感情のスイッチです。

そして悲しみは、相手を思いやる気持ち、やさしさ、情のスイッチです。
自分自身だけに目を向けて悲しんでいるときは、そうではなくなることもありますが。

さらに、これら4つの感情(気持ち)全部を、言葉、表情、態度など、表に出さない人は、私は個性や人間味溢れる魅力、面白みに欠けると思うんです。


以前、天皇家のかたと同級生だったかたのお話を間接的に聞いたことがあります。

実はいじめに遭われてたそう。
ある日、トイレからびしょ濡れの姿で出てこられたそのかたを見て驚かれたお付きのかたが、「どうなさいましたか!?」と尋ねたら、「トイレ(の個室)に入っていたら、上から水が降ってきました。なぜだろう?」と、ぼ~っとふんわりした口調で不思議そうに答えられたそうです。
(上からバケツで水を掛けられたのだそうです)

天皇家では、怒りとか憎しみとか敵対心をもたないように教育されているようだ、とのことでした。
なのでどれほどいじめられても、その皇族のかたは一向に「こたえた様子を見せなかった」のだそうです。
そしていじめはそのうち終わったそうです。
「何をされても相手にしない、気にしない、怒らない」というのは立場上やむを得ないことだとはわかりつつも、小さな子供が懸命に我慢していた様子を想像すると私は胸が痛みました。


ということで、そういえば、天皇家のみなさんを拝見していると、常に穏やかで感情は露わにせず、柔らかな微笑みを絶やさなくてらっしゃる。
強い悲しみや怒りの感情は感じたことがありません。

たしかに、人間としては完成度が高くて、立派で、(世間の人が思い描いているような)神さまのよう。

ただ、もしも天皇家ではなくて、普通の一般人で、同じタイプの人がいたらどうだろう?って思ったんですね。
嫌いにはならないけれど、いつも一緒にいて遊んだりおしゃべりしたりだとか、『すごく』好きになれるかな?、親友や恋人になりたいかな?というと、私は自信がありません。
尊敬はできるけれど。

逆に今まで「好きだな」「仲良くなって一緒に遊びたいな」と思えた人たちはむしろ、怒りも悲しみも、自分が感じた気持ちや考えを、豊かで嫌味なく自然に表現できる人たちばかりでした。
理想と現実は違うんですよね。。。


それに、いつも明るくさわやかな笑顔の人がいたとします。
不快な気分になっても、決してそれを表に出しません。
なので好感が持てます。
会話をしててもニコニコしながら「うん、うん」とうなづいて、こちらの意見や話をジャッジして否定OR修正させようとしたり、人の悪口も口にはしない。

ところが。
じっくり付き合ってみたら、あることに気がつきます。

「この間は自分の考えや気持ちに根っから共感や同意をしてくれてる態度や様子に見えたのに、けれどそのあとで実際にAさんがしていることってそれとは真逆じゃない???」
「あれは演技だったんだのね? うわべだけの社交辞令で嘘だったんだ。。」

なんて、人によってはがっかりするでしょう(とはいえ、この人も憶測だけで事実=自分の考えは正しいと「決めつけ」ていますが)。
そうして何度か繰り返されるたびにますます疑心暗鬼になり、(自分の仲間や味方だち)信じてたのに裏切られた気持ちが強くなって、しまいにはその人のことを嫌いになるかもしれません

また、いつなんどき見かけてもず~~~っとルンルンしてて笑っている人がいたら、なんだか不気味で引きますよね?

こちらが悩んでたり気分が滅入ってるときも、ずっと楽しそうで笑顔のままにしていられたら、やはりいい気持ちはしません。
そういう会話の時は、相手にも悲哀のこもった表情や口調で話してもらってた方が、こちらは心地良かったりします。
たとえそれがうわべだけであったとしても、それはこちらも薄々はわかっていて、でもそうした反応をして見せてくれることで、(自動的に)その人にいたわってもらえたり慰められたような気持ちになれるんですね。
だからその場合はフリでもOK。


****


そんなこんなで、喜怒哀楽のうちの、怒りと哀しみを嫌ったり否定してしまい、喜びや楽しさしか見せないことはかえって不自然で不健康で、良くないこともあると思うんですね。
失敗や欠点・弱みも含め、怒りや悲しみを露わにすることは(程度や状況にもよりますが)、場合によってはそのほうがよほど人間的には魅力的で、自分に正直で裏表がない(邪心がない)人だって風に私は思えるんです。

それは、釈迦が言ってたように、この世で生きることには常に苦悩がつきまとうわけで、だからそのたびに泣いたり怒ったりへこんだりして、思いを吐き出そうとするのは当たり前の反応だから。
そうでもしなければ、精神が壊れてしまう。

隠すべきことでも恥ずかしいことでもないと思うんです。
むしろ、勇気があるし立派で素敵。
こちらも「いいトコ見せようとして頑張らなくてもいいので」、その人の前ではリラックスしたり安心できます。


天真爛漫という言葉がありますが、そういわれる人って、泣いたり笑ったりむっとして拗ねたりキャッキャと興奮したり。
そんな風に気持ちを露わにしてる人というイメージが私にはあります。
そして天真爛漫という印象や言葉は、ほとんどの場合、感じが良い、肯定的なもののの一つです。


そういえば、夕べのしくじり先生の、森脇健児さん。
私も大爆笑してましたけど、始終くるくると表情や態度が変わり、キレが合ってテンポがいい返しとか、めちゃくちゃ面白くてぐいぐい引き込まれました。
最後は(ほぼ)一人泣きされてるしー(笑)
ということで、自分(の感情)に正直で素直で、森脇さんも天真爛漫で無邪気な、子供みたいなハートの持ち主さんと思えました (そういえば、お名前にも、”児”の字が入ってますね)

そこでもしや「3」さん?と思ってお誕生日を調べてみたら。。。1967年2月5日生まれで、5-3-7さん!
やはりライフパス3さんでした。

うん、森脇さんの"しくじり"は確かに、「7」的な行為や考え方が足りていなかった気がします。
7は観察力や思慮の数でもあります。
ご自身でもおっしゃってましたが、相手の気持ちや立場を尊重し、もっと配慮し、自分の能力やふるまいに対しても謙虚であること(戒めること)。
これさえあったらまた人生が大きく変わってたかも。


あわわ、話がずれてしまいました。

とにもかくにも、自分自身を成長させる上では、この世に無駄な経験や事柄など一つもない、と思います。


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