カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

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スピリチュアルな生き方原典(1)

久しぶりにこちらの本を出して読み始めたら、気分も頭もスッキリ!(笑

具体的で単刀直入な回答のおかげか、自分の疑問やもやもやが、す~っっと消えてゆきます。
道をさ迷ったときほど、スピリチュアリズムで、原点回帰&リフレッシュ。
ありがたいことです。 感謝。


スピリチュアルな生き方原典―日本神霊主義聴聞録


今日は、その一部をお借りし、みなさんとも分かち合えたらと思います。
ところどころ抜粋したり、わかりやすく読みやすくするため、現代風に表現を変えてあります。


私は子供の頃から成人した後も、たびたび霊を見たり、直接触れたりと心霊体験が多いため、霊も、そして霊のいる世界(死後の世界/霊界。なので輪廻転生も)はあると確信し、自主的にその勉強をしている、自称スピリチュアリストであり心霊研究者です。
ちなみに、過去・現在・未来と、宗教団体や思想的な集団に加わったことはありません。

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一人の例外なく、一生の間幸福に生きたい、次の代にも幸福を残したいという気持ちに変わりはない。
果たしてこれは可能か。
私もかつて疑問をもった。
いろいろ学者の考えを聞き、霊界通信を学び、人生や人間について考えさせてもらった結果、今私 (脇長生さん) は生きている。


幸福の鍵を握るものは神霊主義(※スピリチュアリズム)以外にない。
そして幸せを握る最後の鍵は精神統一(感情と精神、肉体それぞれが、健全なバランスの取れたヘルシーな状態にすることを意味しているかと思います) である。

けれど人はこれをお金だと言う。

人間とは何か。
肉体は死物、この肉体を動かすのは霊魂、そしてこの霊魂には良否善悪がある。
すなわち人の幸不幸をおこすのは、お金ではない。
背後にいる霊魂である。
しかも霊魂は自分の心持ちいかんで自ら呼ぶのだから、自分がしっかりせねばならぬ。

以上が神霊主義の原理である。
このようにし、良い霊魂が働いている人は、すべてがうまくいっている。
自分、家族、仕事、学業、万事意のままに進んでいる。


***


A氏を霊視してみると、人間の霊魂が二つ(と父と因縁霊)、動物霊が一つ働いている。
A氏の性格とは、これらの総計がつくり出したものである。

因縁霊とは、主として異性関係、不動産や金の貸借など、その他種々な恨みが原因となっているものが多い。

さてAの因縁霊はA家を没落させようと思っている。
が、自分一人ではなかなか思うようにいかない。
しかしその悪念はたちまち幽界中に伝わり、これに応じて人間に恨みをもつ動物霊が応援に現れる。
不足なら、いくらでも動物霊は、呼び集めることができる。

またAには亡父の霊も働いている。
以前のAは酒も飲まず人柄も良かった。
が、父が死んでから急に怒りっぽく酒飲みになった。
それは亡父の性格がうつったのである。

もちろん亡父は子供に悪癖をうつす気持ちは毛頭ないが、死後まだ行くべきところへ行かず、子供に執着をもっているので、その感応で亡父の性癖がうつったのである。

以上、亡父、動物霊、因縁霊のすべての働きがAの人柄を変え、次第にA自身の性格となってしまうのである。

もしもAが精神統一を行うことによりこれらの背後霊が整理されたら、因縁霊は働きたくても働けなくなる。
それはそうする手がかりとなるAの性癖が消えていくからである。

更に、Aが神霊主義を学んで心を鍛錬し、上の方へと反省していくと、今まで幽体までしか働いていなかったA自身の魂は、霊界レベル (※人間界 → 幽界 → 霊界の順です) の波長をもつようになり、自分の守護霊とより深く結ばれる。

この時点でAの性格は一変し、人格は高潔となる。

性格とは背後霊の総和である。しかし性格は本人の心がけでどのようにでも変えられるのである。



【背後霊を変えるのは自分の心がけ次第】

今日の世界では、人格形成というと、学校に期待し、書物の価値を云々する。
しかし、人格とは本人の霊の地位、本人の背後の霊いかんである。
これを変えるのは本人の精神や霊性をどのように統制していくか、ここに人格をつくっていく源がある。

世の中で立派と尊敬されている人は、必ず、欲のない人、何らかの面で意念の統制をやっている人である。
けれど一般人が、これらの人の自叙伝を見て、それを真似ようとしても中々やれない。
それはその人が幽界霊にあやつられていて、我が強く、感情的だからである。


人の心は表面だけでは駄目。
ハラをたてるなというと、うわべだけハラをたてない。
この人の心の奥を調べると、ウソつき。
背後を調べると、表面だけうまくやってればよいという亡霊が憑いている。
ところが本人は、表裏とも自分の心は清いと思いこんでいる。
これではいくら除霊しても、また同じような霊魂がつく。 病気も治らない。

自分の心とは、ある霊魂の心と言える。
医学的にいえば、心とは脳中枢にあるということになるが、実はある霊魂が脳中枢を通じて心を作っているのである。

例えば、ハラをたてると、そういう幽界の霊魂(幽霊)が波長を合わし、ついにはその霊魂の性格、つまりハラをたてやすい性格が自分の性格となってしまう。
またその霊魂が肺病で死んだ霊魂だとすると、本人の肉体にまで変化を与え、肺病になってしまう。


人に亡霊がつくと、その性格はもちろん病気などその亡霊のもっているものは全部本人にうつる。
それが自然霊や動物霊の場合特に「病気にしてやろう」といった目的をもっていないと病気にはならない。
それは彼等が "病気" という観念をもっていないからである。

霊に関することは奥が深く複雑だから、すべて因縁霊のせいとせず、謙虚な気持ちで勉強しなければならない。



霊魂に自分の心を通じさせたかったら、単に心で思うよりも、言葉に出した方が通じやすい。
それは心だけでは雑念が入って混線するけれども、口に出すと気持ちがそれ一つに統一されるから、念が強くなるのである。

ただ、言葉に出しても、心の奥に邪心があれば、邪霊に通じて邪魔され、目指す霊魂には通じにくい。

心の奥に邪心がなければ、言葉に出さなくとも、心の中で思うだけで相手に通じる。
つまり、守護霊が働いて、通じさせてくれるのである。



朝夕熱心に神仏に祈っても、その念は必ずしも神に通じない。
人の念は、自分の持っている心の波長に応じて、幽界に、霊界に、あるいは神界に通じるのだから。

もしその人の心がよろしくなければ、波長の法則により、背後に未発達霊が憑いている。
その人がどんなに熱心に祈っても、その念はこの未発達霊にのみ通じるだけで、そこで中断されるため、神には届かない。
しかも、下手をすると、この未発達霊によって災禍をうけることにもなりかねない。

宗教(※ や一部のオカルト、ニューエイジ信仰者、スピリチュアル好き)はこの理を知らず、ただ神に祈れと言う。
宗教に入って幸福にならない人が多いのはこの理由による。


***


人間は本来、自力で自分の人間完成をするよう、創られている。
しかし性格の弱さや、欠点のためになかなか思うようにはいかない。
しかしあくまで、自主的にやりぬこうとする決意がありさえすれば、その心にそって必ずや、他力的に援助するものが現れる。

自力にして他力、ここに人間完成の道がある。
他力本願は宗教ではない。 法然・親鸞の教えも、よく心してみよ。 他力依存ではない。
他力依存とは、自主性を、他に肩がわりしてもらうことである。



【自己責任から幸福が生まれる】

人間の一生とは、因果律で織りだされる織物のようである。

今日の幸福も不幸も、昨日の自分のつくった原因から織り出されたもの。
だから不幸といっても悲しむな。 今日をしっかりやれば、明日は幸福になる。

それなのに宗教では、神仏(宇宙ですとかも)を拝んですがれば、不幸が消えるという。
消えるわけがない。
原因は自分にあるのに、それをそのままにして、責任を神仏にすりかえてしまっている。

それで不幸が消えなければ、因縁のせいだといって、因縁を断つために、供物をもってこいという。


不幸とは有り難いもの。 過去の自分に欠陥があったことを教えてくれる先生。
だからこれに感謝せよ。
この感謝の心によって、明日は幸福を生む。

不幸とは幸福の糸口。神の与えた反省。囚縁はない。
自分の心の持ち方次第で、不幸は転じて幸福となる。



【不幸になるのは、他に責任を転嫁するから】

霊魂の話を聞いて、直ぐ分かったと思いこむ人のおちいる最大の誤りは、何でもかんでも悪いことはすべて悪霊の働きであるとし、それですませてしまうことである。
こういう人は必ずその霊魂を恨み、それはどの霊魂か?と詮索したがる。

不幸の奥に霊魂があることは、霊魂学の教えるところだが、肝心なことはその霊魂を呼び寄せた自分の心、不幸を起した自分の不注意、これらを反省することである。


とかく人は自分のことを棚にあげて、他のせいにしてしまう。
このうぬぼれ、独断をいましめなければ、不幸は消えることがない。


人間は守護霊が先天的に守っているものだから、自分も一家も、思うようにいくものである。
それがそうはいかないのは、自分が心身の統制のとれた生活をしていないからである。
この自己責任をよくよく考えてみよ。


うぬぼれが強い人は、自分には我がないと考える。しかし自分の目の前を見ればわかる。

自分の周囲は自分の心の現れだから、物事がうまくいかぬ、自分を憎む人がいる。
これすべて、自分にも同じ心がある証拠である。

素直であれば、周囲も素直となり、不幸はない。
素直は人間本来の心。
人間はこういう心を持たねばならぬように創られている。


心霊知識のあるなしで、幸福へ至る時の遅い早いがある。
心霊知識のない人は、困苦に逢うと、どうしてよいか判らない。
苦しみのあまり道を誤る。
しかしこうした人も世を経ているうちに、反省し、向上心をもつ。
しっかりした心霊知識をもっている者は、困苦にあっても道を間違えず、これを乗り越えて、完全へ進む。
知識が生きた知恵となっている者は、守護霊が働いているから困苦の要なく、しかも進歩は著しい。


我々の背後では、365日休むことなく我々を使命へ進めようとする霊と、邪魔しようとする霊とが争っている。
どちらを働かせるかは自分の心持ち次第。

その心とは、奥の心 (※ 霊性/霊格、精神、人格といえると思います)
奥の心を浄化することが使命達成への道である。


幸福な人は思いがけない不幸にあう。
それは、「もうこれでよい、こ札が幸福の天井だ」 と幸福に酔っているからである。

守護霊が働いて幸福になっている時を観察すると、必ず邪悪霊が虎視眈々と隙をねらっている。
「もうこれでよい」とするうぬぼれの心のすきに、邪悪霊は次の不幸の罠をしかけるのである。

幸福に天井はないのである。
健康・家庭の和・事業の繁栄はもちろん幸福だが、私達はこういう幸不幸を乗り越えて進まねばならない。

人間そのものが幸福である。
生きることそのことが感謝である。
この心境に達するとき、これが本当の幸福への道である。


個々の幸不幸にとらわれる者は幸不幸を繰り返す。
心のどん底に人間そのものの幸福を知りえた者は、再び不幸を繰り返すことはない。
何となれば、奥の心によって幸不幸がつくられるというのが、霊魂研究の帰結であるから。


自分の幸せは一人でしまっておいてはいけない。
自分だけの嬉しさはとんでしまうから。 人に分けなさいよ。


もし人が、意念の統制でいこうと思い立つ時、かりに過去に悪い要因をつくっていても、その結果は3分の1に減退される。
しかも、その3分の1を不幸と考えず、その責を負うべしと考え、感謝の気持ちさえもつ時、次の瞬間から、その不幸は幸福に転じ、以後は万事良くなる。


ゆとりをもてば霊感が働き、いながらにしてものの道理や理屈がよくわかる。
これを悟りといい、日本的なゆき方である。
悟りにはゆとりが基本である。

欲得や虚栄心があってはならない。
ゆとりは我をなくすこと。
自然の上に立つこと。
ゆとりは自分でつかむもの。
みなさんも、何か、ゆとりをつくる方法を工夫せよ。
それには毎日何か事にぶつかった時に、折にふれて学べ、反省せよ、我をなくせ。

うぬぼれの最大のものは、虚栄心である。
自分を良く見せたい、えらく見せたい、この気持ちからウソやごまかしが出る。
子供のウソつきや見栄っぱりは、親の虚栄心から出たもの。
子供をもつ親は気をつけよ。
人から嫌われる子供にするな。


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