カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

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「自己実現」ってなんだ?


久しぶりに河合隼雄先生の本を読みたくなって探してたら、こちらの本を見つけ、読んでみました。


なるほどの対話 (新潮文庫)


タイトル通りに、ほんとうに、「なるほど!」「おっしゃる通り、同感ですっ!」みたいな意見や "気づき" が盛りだくさんで、夢中になって読んでしまいました。

最初に単行本で出版されたのは2002年4月だそう(今は文庫本で販売されてます)。
ということはお二人の対談は15年以上前にされたものということになるのですが、とはいえ、内容に古さがまったく感じられません。
「さすが、表舞台で活躍されるかたたちは、人一倍、時代を早く深く読むよな」って、改めて思いました。
あと、短い言葉でわかりやすく表現するのがすんごくお上手!

また、河合先生のお話は、なんとなくですが、あとに遺された人たちに向けた遺言のようにも感じました。 いっけん鋭くて厳しい口調の裏にも、血の通った温もりや愛情(心配)も感じます。

ということで、私にとっては久しぶりにしゃきーん!って心の目が覚めるような、良い本でした^^。


***


さて、本の中ではさまざまなテーマでお二人の対話が進んでゆくのですが、中でもこの部分が強く印象に残りましたので、お借りして、ここに公開メモしておきたいと思います。

「自己実現」の誤認    ※ 吉本さんの会話は青く してあります


この時代の切実な感じだけは、ひしひしと伝わってくるんです。
いまの世の中、町を普通に歩いているだけでも、どこか切実な感じがする。

はじめ、自分の内面が切実だからだと思っていたのですが、どうも、そうでもないみたいです。
たとえば、知人に「結婚します」と言われても、「ワー、とにかくよかった、おめでとう」とはならない。 以前は嘘でも思ったんですが、いまの私たちぐらいの世代で「結婚したからよかったね」っていう状況の人、あんまりいないですよ。 それぞれ何かしらたいへんなことがあって、それを超えるくらいめでたいっていう勢いがないというか、社会全体に「こうなったら希望的だね」ということが少ないんじゃないでしょうか。

前だったら、東大に受かれば「おめでとう!」という感じだったじゃないですか。
いまは、そういうのがない。 「あ、そうなんだ、たいへんだね」っていう感じですね。
「すごく給料が高いところに就職が決まったんだよ」と言われても、「ああ、たいへんだね」って。
「たいへんだね」という感じのコメントが多いんですよ。 「よかったじゃない」とか「わあ、のんびりできるね」とか、そういうのがない。 それで、そう思ったのかもしれません。



いままで「よかったね」というのが多かったのは、そういうスタンダードが決まりすぎてたんやね。 いわゆる、「結婚おめでとう」とか、「東大入学おめでとう」とか、「なんとか会社就職おめでとう」とか。
みんな、そう信じてたんだけれど、それはあやしいということがわかってきた。


そういう価値観がぐちゃぐちゃに壊れちゃったんですね


何がめでたいのか、わからなくなったんですよ(笑)。 めでたいこと、いっぱいあるんやけど。


そういうのがぐちゃぐちゃになって……。


ある面で言うと、そういうのは各人に任されるようになったから。面白くなったと言えば、面白い。


混沌としていて、人それぞれになったんですね。


そう。そういう点では個人の判断に任されているから。
前は、お決まりの路線に乗れなかったらたいへんだったけど、乗らなくたって自分でやればいいってなもんで。


なんとかなるということも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、変わってきてるのかなあ。


でもまだそこまでなってはいないから、中途半端なところですね。それともうひとつびっくりするのは、相変わらずそういう昔のパターンできっちりやっている人たちがいるわけで。


そうなんですよね。


それから、まだまだお受験とかいうようなことを大切なことだと思っている親がたくさんいるわけ。
いまだに、世間がいいと言う幼稚園に子どもを入れたがる親が、たくさんいるんやもんねえ。


子どもをどの病院で産むかから決まる、と考えるような(笑)。


昔ふうの、いわゆる馬鹿げた幸福パターン。 何かに乗っかってると楽だから。
自分で判断できて、自分で自分をたのみにするという人は、まだ少ないんちゃうかな。
しんどいからね。
自分をたのみにするのは、苦しいけど楽しい。
でもみんなは、「楽しい」の方だけをやろうとするから、 急に「苦しい」に落ち込んだりする。



「自分をたのみにする」というのは、言葉の響きのよさとは反対に、情けなーい、かっこ悪ーいことの方が多いと思う。


内実はそうですよ、みんなから馬鹿にされたり。



(略)


「自分がやる」ということは、ぜんぜんわけもわからん、自分が思ってもみないことがいっぱい起こる。
そういう意味では、「自己実現」という言葉が、まったく誤解されて使われていますね。
あんな、わけのわからん、苦しくてかっこ悪いことはないのに、みんなかっこええと思ってる。
自分のしたいことをするんやと思ってるけど、ぜんぜん違いますよ。



いやなことはしないようなイメージがあるのでしょう。

言葉としては平凡だけれど、自分と向き合う、それだけでじゅうぶん苦しかったりつらかったりイヤだったりするわけだから。
そういうことが「自己実現」ということだと思う。



だから、あんまり使わんようにしてるんです。誤解されすぎてる。


素晴らしいことを実現するかのように……。


みんな思ってるわけ。
ところが、自己なんて実現しようと思ったら、途方もないことがいっぱい起こる。
それをぜんぜんわかってない。

だからぼくは、「『自己実現』は『他己実現』や」言うてるんです。
「他人が素晴らしいと思うことをやってるだけや」って。
他人がかっこいいと思っていることをやることを、自己実現と呼んでいるだけ
やと。

だから、誤解されるから、あんまり使わんようにしてるんです。
自分と向き合う作業は、人間にとって必要なんです。
必要というか、せっかく生まれてきたんだから、自分は他のどこにもいないし、おそらくまあ世界に一人でしょう。
しかも、どうせ死ぬわけだから、その間ぐらい自分を大事にしないと。


なんていうか、人が思っている自分というか、「人はこう思うだろうな」っていうのを取り払ったその人が垣間見えるとき、そういうときに感動しますよね。
「ああ、私には思いつかないな」とか。
人びとは、そういうことをもっと素晴らしいと思っていいと思う。
人全般に対してそう思います。
でも、それは、それほどつらいことだから、みんなそうやって決めたがるんですね。
「こうやると幸福になるよ」とか、「お金はある程度あった方が楽だよ」とか。



だから、なるべくしたくないのが「自己実現」なんです。


やっぱり自分を見ない方が楽ですよね。
「ああ、こんな汚いところも」とか、「こんなつらいことが」とか。
「こいつはこういうふうに逃げた」とか自分自身に対して思ったり。
イヤなところばっかり見ちゃうことが多いと思うから。つらい作業じゃないでしょうか。



でも、やるより仕方ないでしょうね。ほんまに。 生まれてきたんやから。


それに、やっぱり自分をよく知らないと、もっともっとつらいことになっちゃう気がします。
社会的にいいとされていることを、「つらいけど、やっておこう」と意気込んで、それこそ病気になっちゃったり、倒れちゃったり、過労死しちゃったり。

自分を知っていれば、もう少しやりようもありますよね。



(略)


大事なのは、先に考えるのではなくて、それに身をまかすこと。
それさえできれば、何か生まれてくるんでしょうね。


うまいこと、フッと。
それと、「自分をたのみにする心」がとても大切なんです。
それは自分に自信を持ちすぎるのでもなくて、いざとなったら自分がなんとかするだろうという「自分をたのみにする」こと。
それがあれば、結局最後は勝つというか、うまくいくような気がします。



自分をたのみにしているというのは、あるからたのみにしているのと違いますよね。
何もないんだけど、たのみにしてる…。


ないけど、「大丈夫だろう」、「何かつかむだろう」と思って。



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