カバラ数秘術のBlog

静岡在住の数秘術カウンセラーによる、数秘術やスピリチュアリズム、メンタルケアのいろいろ

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純粋でいることが生きづらさを招いてしまうという矛盾。


先日の投稿内容の続編です。
kabbalah-suuhi358.hatenablog.com

今回もこちらの本から部分的にお借りして、自分用に公開メモさせていただきます。
(ちなみに、原文のまま残しているのは、要約しようとして自分の言葉で書き直せば、著者が伝えようとしているニュアンスや内容がゆがんでしまう恐れがあるという考えからです。 そこで関係者様、もし問題がありましたらすぐに削除いたしますのでご連絡くださいませ)


なるほどの対話 (新潮文庫)


※ 吉本さんの会話は青く してあります


先日、あるデパートの書籍売り場に私の本を立ち読みしている若い女の子がいたんです。
ハッと思ってのぞき込んで見たら、その子が「吉本さんですね」って。
すごくかわいい、感じのいいお嬢さんで。

「この本買います」と言うので、「いいよ、私が買ってあげるから」ってサインしてあげて、「何かの縁だから、あげるよ」。
そうしたら、その子が、自分がしていたちっちゃな指輪を私に差し出すんです。
私が「いいわよ、そんな」って言ったら、「でも、私が持っているものでいちばん大事なものはこれだから、これをあげたいんです」って。
「じゃ、もらっとくね」って、いまも飾ってあるんです。

そんなことがあったその子が、少し経って入院しちゃったんです。手紙をもらって知ったのですが。


 
へえー。


不安定になったりするといやな面が出たり、いろいろあるから額面どおりとはいかないんだろうけれど、心がきれいすぎて、「学校についていけなくなって、学校に行かなくなって、そのことを気にして、いま通院したり入院したりしています」という手紙がお母さんから送られてきて。

あんなに心がきれいなのに、話だってきちんとできるのに。
でも学校に行ったらだめなんだと。学校では受け入れられないと。



うーん、ある程度以上、心がきれいだったら、もう学校には行けないですよ。
学校は社会ですから。

そこが難しいところですね。


でも、行かなくていいというわけにはいかないんですよね?


この頃は、だいぶいろんな道ができていますよ。
(※ この後で具体的な例を挙げてお話されてます)


(略)


それ(※ 日本のしがらみ)は、これから変わっていくんですか?
それとも残した方が………。
それなら、どれくらい残すのがいいんでしょう。



難しいのは、そのしがらみの方を不問にしながら、みんな頭でいいシステムを考えようとするでしょ。
でも、頭で考えた いいシステム というのは、まず機能しない。
それで「おかしい、おかしい」というようなことが、しょっちゅう起こっているんじゃないですか。
それは政治だけじゃなくて教育もそうだし、みんなそうでしょう。

いまはみんな頭がよくなっているから、知的に、ある程度精選されたものにしようとすればするほど、実態から離れてしまう
そのとき、そこに向かって現実的なことを言うのは、ものすごい勇気がいりますよね。
「あなたはそう言うけど、本当はそうじゃない」と言うと、「そんな馬鹿なことを言うな」となる。
で、日本人は、そこは建前と本音を使い分けて調節してるんだけれど、みんなだんだん建前と本音の使い分けが下手になってきた


私ぐらいの世代から滅茶苦茶ですよ。ルールないって感じで。


うん、へ夕するとね。
で、日本のルールは不文律が多いですからね。
ものすごい不文律が多いから。


(略)


そういう人たち(※ 学校生活に馴染めない子供たち)は、ほんまに、ぼくらがカウンセリングで会っている人たちです。 ものごとをよくわかっているんだけれど、集団のなかには入っていけないんですね、いまおっしゃったとおりで。

ある人が、ばななさんのような状態がひどくなって、病気のようになって、それが治って社会に帰っていくでしよ。
で、その人たちがいちばん苦手なのが、その会話(※ 受け答えのしかた)なんです。


ああ、やっぱりねえ。


仕事はできるんです。
頭はいいから、仕事はできるんですよ。
ところがみんな、人間関係がだめなんです。

たとえば、その人たちは精神病院から通ってるわけです。
で、職場へ行って「お住まいは?」と訊かれたときに、嘘が言えないんですよ。
それか、言おうと思ったらドキドキドキドキしてしまうんですね。
日本人って、人に何か訊くのが、ものすごく好きでしょ。
「どこから来られましたか?」とか「お一人ですか?」とか、訊かんでもええのに。
それをごまかせないんです。


それから、こんな例もある。
ある人が雨の日に「よう降りますね」と言われるわけ。
で、外を見たら雨がよう降ってるわけ。
そうしたら、「先生、ああいうときは、『はい』でいいんでしょうか?」と。
その人に言わせると、雨が降ってないのに「よう降ってますね?」と言われたら「雨は降ってないでしょう」と言えばいいけれど、雨が降ってて「よう降りますね?」と言われたら、あたりまえのこと言ってるわけでしょ。「どういうふうに言ったらいいんですか?」 と。

それで、「はい」と言って、あとは黙っている。
相手は「なんか変なやつだな」と。
そうすると会話が、カタッ、カタッと崩れていく。

結局、能力がありながら、みんなやめて戻ってくる。
で、ぼくらは、そういう人に教えるわけです、「『よう降りますなぁ』言われたら、『よう降りますなぁ』って同じこと言ったらええんや」とね。
別に何も構わないことを言いなさいと。

で、そんなところから勉強してもらって、また行き直す。
それでも、どこかで失敗してしまうんです。

そういう人たちにとっての見えない圧力、つまり「自分は普通に生きている」と思っている人たちの圧力は、すごいもんですよ


本当ですねえ。


だから、そこからいっぺん外れた人が、そこへ入り直そうと思ったらたいへん。
みんなのなかに入って、ずーっと生きてる限りは、水のなかにいるみたいなもので平気なんだけれど、その水の圧力は、外から入っていったらすごく大きいものなんです。


(略)


私の親友に、特に何もしてないのに、みんなからすごく必要とされている人がいます。
好きなところ、日本とかフランスとか、好きなところに住んで、そのときどきにバイトして暮らしているのですが、まわりのみんなに「いて」って言われて生きている。
でも、特に何もつくってはいないんです。就職もしてないし。
考えてみたら、すごい人ですね。



そういうタイプの人、いますよ。


やっぱり、そういう人が必要なんですね。


天性の触媒みたいな人がいますよね。
触媒は何もしないけれど、触媒がなかったら反応は促進されない。

ぼく自身も、わりと触媒的です。


何もしなくても、仕事に就いていなくても、人びとをこんなに幸せにしている人たちがたくさんたくさんいるのに……。
そういう人たちが生きていきやすい世の中になるといいですね。

みんな真面目だから病気になっちゃうという側面は、ありますよね。



【カウンセラーと一般の人たちしている傾聴のしかたの違いについて】

仕事の部屋へ入っているときは、日常会話とまったく違うペースで対話します。
普通にしゃべっているようですけれど、すごく違うんですよ。
それは訓練だと思います。

二人の人間が会ってるということは、お互いに、ものすごく面白い影響のし合いをしているわけだからね。
それこそ「昨日、大阪行ってね、大阪でものすごくイヤなことがあった」と言おうと思って相手の顔を見たら、ものすごいしんどそうな顔してたら、やめるでしよ。
「行ってきたんだ」と言って、それ以上話さないですよね。

向こうがパッと構えて待っていてくれたら、「ものすごいイヤなことがあった」って言うことができる。
それで、相手が聞いてくれたら話は続くけれど、イヤな顔したら、そこでやめますよね。
そのときに、相手の話が続くように続くように待ってる(※ 仕向けている とも?) わけだから。

そうすると、みんな普通だったら言わないことを全部言ってしまう。
だから、はじめて話しに来た人が「私、こんなことを言う気はぜんぜんなかったんですけれど」と言うことが、よくあります。

その人の心のなかで圧力の高いものがパーツと出てくるわけ。
普段は、そういうことを抑え込んで言わないようにしているから。


普通の生活のなかでは出せないんですね。


日常では言わないことが出てくるんです、聞いていると。
そんなことをいつもやっていたら、みんな迷惑するから。
日常生活では、日常のレベルでやっています。
それでも、普通の対話のときにも聞き役にまわることが多いです。


よく営業の研修などで「そういう技術を使いましょう」といった講習がありますよね。
ああいうのは、どうなんですか?



ちょっとやそっとでは、できないです。


付け焼き刃では。


ええ。
というのは、人と人とが会っているということ自体、もう違うことが起こるわけですから。
だから、付け焼き刃でやろうと思ったって絶対できない。よほど訓練されていないと。


「営業とか恋愛の場でこういうふうにすると相手の心はこう動きます」なんて簡単なのがありますが、そんなことないんですね。


そりゃあ知ってたらちょっとは違いますけど。
相手に対する気持ち(※ 純粋な好意、優しさ?)があったら、(※ 相手の話。事情や思い、考え、気持ちを)聞こうという気持ちが出てくるんだけどね。
だいたいは、みんな、自分のことを言おう、出そうと思っているから。


人問は、そんなにいろんなものを溜めているんでしょうか、心のなかに。


そうやねえ。やっぱり生きているということは、たいへんなことですよ。


思うままにならない。


だから、みんな、好きなことをしているようで、いっぱい溜め込んでいるわけですよ。
そういうことを溜め込みながら(例えとして。前振りとしてさっき旅行の話が出ていたので) 旅行していることを、みんな意識してないでしょ。
「私、パリヘ行ってきたよ。よかったよ」って自慢してるんだけど、腹の底には「面自くなかった」、「イヤだった」とか、「しんどかった」というものがある。
でもそれは言えない。
友だちの方も、「よかったね」って言うから、「きれいだった」という話ばかりをする。
そこで溜まったものは、どっかで出さないかんことになる。
それを出さずにいたら、どんどん溜まっていくわけで。

人間は、いろんなところでこれだけの無理をしているんだから、ものすごくたくさん溜めていますよ。


はあ……。
「昔はよかった」というのは、そういう意味においては、あながち嘘じゃないんですね。わかりやすかったというか。



溜まっていることさえもわからない。
そしたら胃潰瘍にでもならんと気づかない。


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