カバラ数秘術のBlog

カバラ数秘術と宿曜、スピリチュアリズム、メンタルケア。04年から静岡をベースに活動しています

そこにどんな愛があるの?


最近の自分の投稿を見ると、誤字脱字や、おかしな日本語が目立つこと。
元々多いけれど(汗、今は特に多いです。

思うに、私や私の状態を何もご存じないかたは、おそらく、「この人は文章を書くのがヘタ。知識や文章力がない」と思われるでしょう。
またその印象は、よほどのことでもない限り、この先も覆ることなく、続くことでしょう。
うん、それは事実だから逆らいたくなる気持ちはなく、「そうなんですよね~」と流せる。


ただ、それ以上の理由もあったりしまして。
じん帯を損傷したので、寝ている時以外、同じ姿勢を保ち続ける間、ふいに体を動かしたり、姿勢の角度を変えないようにすることに、全身の神経や注意を傾けてるんですね。

そうしなければ、痛いだけじゃなく、せっかくくっつき始めたじん帯がまた切れてしまう。
数日分の我慢や努力が無駄になるし、それだけ復帰も遅れます。
また、切れ方によってはほぼ終日、寝ていないといけなくなってしまいます。

そういう思いや考えがあるので、今の状態は「死守」したいんですね。
後退させたくなくて。
なので、とにかく少しでも早く書き終えることが最優先になっていて、なので言葉を練ったりしっかり考えて書こうとしたり、細かな所まで添削しなおす余裕がないので、細かいミスはどうぞご勘弁をという感じです。


じゃあそこまでして書かなければいいのでしょうけれど。。。
実はずっと寝ながら本を読んだりスマホをいじっていたせいか、腕の筋肉が痛みと炎症を起こしてまして、物をもちあげるたびに、びきっと痛みが走ってます。
なので、本当に、ぼけーっっと寝てるしかなくて、そうした状態がひと月も続きますと、どれほど退屈か。。(笑


それに、「考える」時間がこんなに増えると、ろくなことを思いついたり考えられません(笑
最初は、先々のことをワクワクしながら前向きに考えていたはずが、そのうちだんだん不安とか焦りとか、憂うつな気分になってきてしまうんですよね。

それは、前向きで明るい成り行きを想像してても、途中途中で、「でも。。」「だけど」という横やりが入るからと思います。
それさえも、よく考えれば、そのおかげでミスや失敗、リスクを回避できるという受け止め方になりますが、でも。
ネガティビィティの威力は破壊的。
それは動物時代の本能がそうさせるのかも。

ということで、「考えるも悩むのも5分まで」というのは私も同感。
でもそうしたらほんとに、他にすることがなくなっちゃう。。。。


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とにもかくにも、寝ていられないし出かけられない ので、ブログを書きたくなります。

でも起き上がっている姿勢を保ちづづけることに注意が行って、記事のてにおはまではとても気が回らないのです。
なので、「創作力や表現力、文章力がない」記事になってます。

あ、いうなれば、ダイイングメッセージを書くような状態や心境です(爆
懸命に書いてます。

しかもすんごく身勝手で甘えなんですけど、「これくらいのミスなら、読んでくださるかたも、察してくれるだろう」とも思っていまして。
こういうブログを好んで読んでくださってるということは、共感できることが多いからなんだろうなと思いますし。


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そんなこんなでツイッターでも時々、単なる変換ミスとかで致命的なミスでもないのに、「ここがおかしい」って指摘されてるのを見かけます。

もしも指摘されたかたが、それは相手への親切や思いやりが動機になっているとお考えなら、私はちょっと違うかなと思うんです。
私なら「気づかないふりをして」あげます。
なぜなら、それでも言いたいことはわかるし、子供にもわかりそうな単純ミスなので、本気で間違えていることに気づいていないとは思えないからです。

自分では気づかないでしてしまったうっかりミスまで、人目のある場で訂正され(咎められ)てしまうのは、つらいです。
嫌なものです。
中には黙って見逃してくれてる人もいるのに。

人に恥をかかせてはいけません。特に人前では。

昔ある人に教わったことを思い出します。



けれど一歩引いて。
もし指摘した人が、他のかたが勘違いしないようにという配慮によるものだったとして。

でも。このミスが読み違えた人やその人の人生にどれほど迷惑をかけるだろう?ということと、多くの注目があつまる場で、「ここ、間違えてますよ」って自分のIDと共に指摘することの、有名人の方や自分自身に与える影響力の方が深刻なんじゃないかと思うんです。

特に、どんなミスで何を言ったりしたか?というよりも、正すことでいったい誰がHappyになるの?という点で。


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その人のことは知らない。
どんな生い立ちで、今、身体や心がどんな状態なのか。
どんな状況で、どんな風に考えているのか、感じているのか。


見た目やその人の会話や、自分の想像だけで真の事実はわからないのに、自分の中の「こうに違いない」を正しいとして、それを基準に応対しようとするから、それが誰かを傷つけたり、怒らせたり、悩ませたり、困らせたりすると、私は思う。


そんな私も昔は、こういう間違いをし続けていた。
がある日、スマナサーラさんをテレビでお見掛けし、ご本を読んで、仏教の教えにふれ始めると、こうした "決めつけかた" が人や自分を不幸にすると知り、それから気をつけるようになれた。
自分でも思い当たることがあったから。


ちなみにスマナサーラさんは、釈迦は一流の心理カウンセラーだったとおっしゃっていますが、お釈迦様は神さま、とはおっしゃっていません。
また、真理/悟り=絶対的普遍的な事実を追い求める仏教は、(なので)科学なのですともおっしゃっています。
マインドフルネスのもとになったヴィバッサナー瞑想も、実は、ブッダが、自分の主観とか好みとかを外して、物事の本質を客観的に観察できるようになるための方法として始めたものだそうです。
そしてこれで悟りを開かれた、つまりどんな時も心明るく平安で穏やかな精神でいられる状態になれたとのことです。


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最後に、こんなツィートも見かけました。

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(画面をお借りしました)



「噛み合わないと思う人の方がIQが高い」という情報や考え方に私は納得がゆきません。

好みや主義思想、性格、生い立ち(文化、環境)の違い、その時の気分等々で「かみ合わない」こともあると思うんですね。

それから、IQが高い人=立派で人格者=良いこと というとらえ方も腑に落ちません。
本当に、そうでしょうか?
子供たちって、時々、オトナがはっとさせられるようなことを言ったりしたりしますよね?


で、例えばこういうケースもあると思います。
どうも生理的に受け入れがたい人と会話をしていて、でも相手はノリノリでしゃべるしゃべる。
自分はというと、距離を縮めたくないあまり(自分の領域に入りこんでほしくないので)、あえてうなづく程度にしています。
頭の中では同意できない部分が多々あっても、口に出したとたん、相手はもっと勢いづいてしまうので、我慢しています。
そしてこの時、私はこう思いながら、この人の話を聞いていると思います。
「この人とは話がかみ合わないな」

でもそう受け止めるまでで、その人のIQがどうとか、人間として劣るとか、そういう理屈で判断しようとははしません。
それは自分の不出来を棚に上げていて、傲慢で思い上がりで。
相手に対してとても失礼な考え方をしていると思うから。

で、相手の方も、「合わない」と感じてるかもしれません。
何を言ってもしても、返ってくる反応がぱっとしなくて。


そしてさっきのツィートの内容をこれに当てはめると、
「この人とは話が噛み合わないと感じている自分の方がIQが高い。なぜなら噛み合わないのは相手のIQが低いせいだから。しかも向こうは話が噛み合ってないことすら気づいていないようだ。恐ろしーーー」という風に私は受け止めますと公言したということ。

あーあ。。。
自分の側を過信/正当化=簡単に人を見くびると、なんて勘違いが起きてしまうんでしょう!
いつもいつもこんなふうに人を見ていたら、人間不信になったり、孤立しそう。


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どういう状況で相手であっても、その人の知性や人格を見くびったり見下した時点で、そんな考え方や態度をする自分の方が(霊性の方が)よほど劣ってる。
また、こうした、他の人そのものを、この世の何かのレッテルで格付けして区別差別意することが、対立や孤立、犯罪や戦争を引き起こす。
同時に、その本人の霊格も引き下げる。

と私は思います。


面白いなと思うのは、誰もが平和、もしくは個人の平和を求め、願ってるのに、気づかないうちに自分からそうしたことを遠ざけてしまっている、ということです。
なぜなら、自分が無意識にしている会話や態度で、相手を不愉快にさせているはずだから。
誰だってケンカやもめ事はいやだから、顔にも口にも出さないだけだったり、相手の方が大人で寛容なので普通に接してくれてるのかもしれないことに気づいてなかったりする。

であれば、求めていることと、実際にしていることとが、矛盾していると思うんですね。


それから、そもそもこの世の学術的というか知的レベルの成績や評価など、霊界や霊たちから見たら、大した意味を成しません。
心理学でさえ役に立たないそうです。
なぜなら地上とは環境が違いすぎるから。
(とシルバーバーチ他、霊人たちが語っています。なるほど、考えてみればそうですよね)


ということで、私的にはあのツィートは「いかにも筋が通っていて賢そうで正しそう」に見えていて、でもあくまでその人の意見であって、みんなに共通して使える知識や理屈、つまり事実や真理ではないと思いました。


でもそれよりももっと深刻だなと思ったのは、この意見に賛同したかたが少なくないということです。

もしかしたら、こうした発想が、イジメを助長してしまうんじゃ?

しかもそのイジメは、子供たちの間だけでなく、大人たちの間にも!!!


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思うに、今の人達は、自分の本当の気持ちを素直に伝える、ありのままが伝わるように話す ということが、あまり上手ではない気がします。
ネット普及の影響で、時短時短でスピードUPが好まれ、できるだけ省略しまくって、要点や結論だけを伝えるというやり方が沁みついてしまってるからかな?とも思えます。

でもいっけん、無駄と思えることこそ、個性だったり、オリジナリティを生み出してると私は思うんですね。
血が通った温かみを感じさせるやり取りやお付き合いって、こうした "無駄" があるからこそできること、と私は思います。

地上世界よりもはるかに進化した霊界も、地球外の文明社会も、地上の片田舎のように自然が溢れていて、人ものんびりしていて、牧歌的なようです。
私たちも本来は、そうあるほうが「正しい」ということでは?


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なんて、屁理屈はさておき。

私なんかは、本能的というか本心ではやっぱり、言葉や態度で誰かを侮辱したり傷つけることをする人よりも(たとえその人に自覚がなくても)、自分の発言や行為を前向きや好意的に受け止めたり共感や理解に努めてくれ、同時にこちらの自尊心や存在を尊重しようとしてくれる人の方を、好きになるし、友達になりたいし、その関係を大切にしたいって思うほうなんですよね。


そこに隣人愛・他者愛はあるのかい?
あ、「愛」と書くから届かないのか。
情だとか、優しさや思いやり、ですかね。


そうこうするうち、やっぱりこの世や宇宙は愛が法で、正誤の判断の尺度になるなぁ、自分をより良い方へと導いてくれるなぁと改めて確信しましたよ。

この世のありとあらゆる体験に学べる価値あるものがありますね。



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