カバラ数秘術と宿曜占星術 ー Hearts in Harmony の diary

カバラ数秘術と宿曜、スピリチュアリズム、メンタルケア。04年から静岡をベースに活動しています

反面教師


今日は脳内整理のつぶやきでーす



昨日の堀江さんの動画のコメントを見ながら考えていたことがある。

kabbalah-suuhi358.hatenablog.com



私は、レビュー欄を見るのが好きだ。
そこには自分が思いつかない、いろんな考え方や事柄が垣間見えて、勉強になったり面白いからだ。


けれど中には思わず眉をひそめたくなるようなものもある。

そうした書き込みは、ただ自分の不愉快さ(感情やエゴ)をぶつけては困らせようとしているだけ、に見える。
そうしたケースを見るたびに、感情のままに大声で泣いて、焦ったオトナたちをオロオロさせてる赤ちゃんを想像してしまう(もちろん赤ちゃんには悪気がない!!!ので罪でもないですよ)


私は、相手が誰であっても、好きではなくても、自分よりも優れていると感じるところがあれば素直に認めて相応の敬意を払うようにしている。
(相応な ⇒ 過剰なヨイショ、お世辞は言いたくないので 苦笑)
時代劇のセリフで言うと「敵ながらあっぱれ!」みたいな心境で。


子供の頃から、そういうことができる大人はかっこいいと、ずっと思ってて、憧れてきた。
間違ったことをしたら潔く認めて正直に謝り、嬉しいことやありがたいことも素直に感謝したり、そんなことができる相手の良さをたたえる。

ちゃんとできているかどうかはわからないけれど、でも、やるように心がけてきた。
そして、年齢や立場に関係なく、そういうことが自然と素直にできる自分が気に入っているし、人にも胸を張って言える。
嘘ではないので、突っ込まれても、やましいことがないからだ。


私は、自分がその人と同等の立場にいたり同じような才能や実力を持っていたり、実際の経験や実績がなければ、けなしたり批判する資格はないと思ってる。
ましてや、その人が実際にはどんな人なのか直接会ったり付き合ったこともなく、またその出来事が起きた現場の一部始終も見聞きしているわけではないのに、憶測だけでとやかく言うのは間違いだ。
昭和育ちの私は、そういう人や態度は「身の程知らずでみっともない」と言われて育ってきた。
(昭和のオトナは物言いや態度がストレートですから。でも人間的には今よりも筋が通った考え方や行動をしていたと思う)
とはいえ、育った環境とか、人にもよるかもしれないけれど。


それから、どれほどハウツーな知識(情報量)が多くても、 自分が実際にやってみたものでなければ、人に対して安易に「いい」とか「悪い」とか言えたり、勧められないと考えている。

また、「知っている」のと「わかっている」とは、言葉のもつ意味が違っている、とも。
「知っている」という場合、その情報の記憶があるだけ。
「分かってる」といえるのは、その情報を実際に試してみたり自分のものにできている場合だ。


例えば、時間と労力をかけて研究しその成果をまとめて発表した人と、発表したものを読んで記憶しては自分の意見や知識として人前で語る人と。
どちらの話が信頼できたりより実力があるかは、敬意を払うべきは、誰の目から見ても明白。


「分かって」いないのに「分かって」いる風に語るのは、本当にわかっている人からみたら、知ったかぶりで屁理屈な言い訳に聞こえてしまう。
その人からしたら、やってもいないしできもしないのに、いい加減なこと、もっとひどい場合はウソを言ってるのと変わりがない。
(実際の "行い" や "行動" が重く受け止められ尊重されるのは、これらには勇気や正義、忍耐、努力が伴うことだからだと思う)


どれほど豊富に知識を持っていても、実際に生かせていたり、使いこなせていなければ意味がない。
知識は道具。
最高級の道具をたくさん揃えていても、それを使いこなせる技術が伴わなければ、宝の持ち腐れ。
それだけでは、一流だとか、プロだとは言えないし、名乗れないのと一緒。


知識は、現実の暮らしの中で役立たせて初めて、知恵と呼べるものになる。
ただ "知っている" だけの意見は机上の空論で、はたして本当に有用なのかどうなのか、空回りな知識にしか受け止められない。


そうして知恵に優れている人ほど、人や物事を見極める目はある。
そういう人の前で、量が多いだけの知識を振りかざす、知ったかぶりと見栄っ張りは恥ずかしい。
しかももっと悪いのは、そうした態度が、結果的にますます自分の劣等感やコンプレックスを強めることになってしまったりする。
また、相手から信用されたり、好感ももたれないはず。


***


ということで、動画のコメントに話を戻すと。

第三者の私から見て明らかに、批判されている側のほうが現状や実力が上回っていたら、批判している人の意見は、どれほどもっともらしいものでも、ちっとも響いてこない。
むしろ、嫉妬や妬みといった、 悪意すら感じてしまう。


自分の立場や実力には、客観的で、公正公平な目を持つべきだとつくづく思う。
もちろん、過大評価も過小評価もいけない。
どちらも自分の成長の足を引っ張ってしまうものだから。


そして "謙虚" というのは、自分や自分の能力を、ただ感情的・直感的・感覚的に(理不尽に)卑下したり、卑屈になるのと違う。
客観的に見比べて、劣っているものは劣っていると潔く認めたり、自分よりも上回っている人やその人の主張を尊重することだと思う。
つまりそこには、相手に対する思いやりや優しさ、愛がある。
そしてそれは自分自身に対してもそう。


人を認めたり褒められる人は、自分に対しても同じことができる。
けれど、人に対しては良い所探しをして快く認めたり褒めたりしないばかりか、否定的で批判的なのに、こと自分に関することでは褒めたり良い評価し肯定しようとする、というのは注意と思っている。
そういう人には奢り(おごり)やうぬぼれがありそうで、こういう人は自尊心が強すぎて人や世間を見下ろしているから。

どんなに上手くカムフラージュしているつもりでも、見る人が見れば、行動と会話の中身に矛盾が起きていてわかってしまうものだ。


いずれにしても、他に対して評価をしたり批判をすることは難しい。
だから、しないほうがいい。
安易にけなしたり反論しようとするよりも、客観的に見てよいものは素直に肯定し褒めようとすることへと関心や注意を向けよ! と自分に言う。


****


なんて。

コメントやレビューウォッチングはやっぱり(心理学や人生の)勉強になりますです。



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