カバラ数秘術のBlog

『数秘術と宿曜術で人と未来を明るく元気にしたい!』 そんな大それた夢と目標を追いかけながらも日々是好日しています。数秘も宿曜も不思議で面白いです!

つれづれに。


こんにちは。


最近ますます、ニュースとかSNSとか、ネットが荒れてるように感じてなりません。
表向きには体裁を取り繕い美化しつつも、誰彼かまわずにわがままや気持ち、気分をぶつけてるみたい、な。

どなたかも発言されてましたが、最近は、「私のことを注目して!もっと気にかけて!」「すごいね?いいね?って褒めて」「それは辛いね?って同情したり慰めてください」「寂しいので相手をしてください」みたいな。 いわゆる、”承認欲求” や "渇愛系" ですとか?
もちろんはっきりとそう言っているわけじゃないけれど、間接的に行動や態度(何について書いてるかとか、していること)で示しているケースが目立ってきている気がします。

しかも、こういうのって、感染しやすいのですよね。
(してはいけないということでもなく、それをする相手や場を考えた方がいい、配慮したほうがいいと思っています)


とにかく、気にしないようにしていても、目や耳に入ってくれば気になるのが人間というもの。
なのに、そうなるとわかってて、わざと目の前でちらつかせ、ネガティブな反応をあおるのってひどいなぁって思います。


なので検索に使う程度であまりネットを見ないようにしています。
友人と話をしてたらあちらも私が感じていたのと同じ意見や感想を話してことから、ますますそう思うように。


で、その代わり、本を読む時間が増えました。
活字中毒なので(笑。
それに活字として出版されるくらいの読み物でしたら、読み手に悪影響を与えないよう、思慮分別に欠ける表現や記述がされているものってそうそうないので、安心して読めるから。
もちろん、著者や内容を意識して選んだ本は、という前提でですが。


***


ところで今読んでいる遠藤周作さんの本に、「大人な人ほど感情を露わにしようとしない。 言いたいことはあっても飲み込む」みたいな話が書かれてて、反省しきりです。


たしかに、その時の気分や考えに任せ、言いたいことやしたいことをそのまま表現するのって、子どもならではなこと。
けれど、オトナと子どもの違いは、それをやった時はスッキリしても、後で後悔すること(かえってモヤモヤ・イライラが倍増したり。もしくはトラブルになったり) と思います。
子どもなら無責任な言動をしても許されるけれど、オトナはそういう訳にはいきませんものね。
そういえば、「ありのまま」「自由に生きる」ということがもてはやされてた時がありましたが、私は、これって意味を取り違えるとマズいなと思ってました。
回りや結果などおかまいなしに、わがままでエゴイスティックな自分勝手な人間になろう!と勧めているように聞こえましてf:id:kabbalah-suuhi358:20181122151953g:plain



それから、子どもは我慢ができませんよね。
それと比べて、オトナは我慢ができます。
我慢が利くから、謙虚になれ、相手が周囲の立場や気持ちになって察してあげたり、思いやってあげることもできます(相手がどう受け止めるかは別として。 そうした優しさを気づかずに悪意として受け止める人なら、実年齢にかかわらず幼いように思います)
また、我慢やストレスは、全部が悪いわけではなく、特に我慢は「愛情のあらわれ」になっていることもあると私は思っています。


お砂糖も適量ならおいしいけれど、多すぎたらまずくなるし健康にも害を与えるようになるし、物事に正しいも間違いもないというのは、結局どれくらいやるかの「さじ加減」次第だからと思うんですね。
そしてお料理が上手でない人はミスが多く、上手な人ほど一発で絶妙なさじ加減の量がわかったりします。
心や思考の使い方もこのことと一緒のような気がいたします。


でもそれが、「お人よしだ」とか「正直者がバカを見る」的なことになってしまうことも。
ただ私は、それって一時的なことのように思います。
誰にも良心はあって、なのでひどいことをした人も、その時はわからなくてもいつか悔やんだり後悔しだして、しかもそれをずっと死ぬまで引きずるようになると思うんですね。
この間も、10何年も逃げ回っていた殺人犯が、耐えきれなくて自首したように。
他にも、捕まってほっとした、と口にする犯人は少なくないです。

けれど、かたや "された側" はというと、やましいことがなければ、時間が経つにつれて忘れられ、スッキリしていくもの。
もちろん他にも、人に好かれやすいとか、メリットはいくつもあります。
ですから、長い目でみたら、ぐっとこらえて我慢できるお人よしや正直な人のほうが、生きていく上で有利なことが多い気がします。


私は、自分は無理や我慢をしいられているという、人の意見や物事の受け止め方をしない人になりたいです。

でもそれは、現実を無視して鈍感になろうとしている、という意味じゃないです。
「良いことをした/できた」って、前向きだったり喜べるようになりたい、という意味です。
そしたら、我慢することがつらいとは思えなくなるので、フラストレーションやストレスは溜まりませんから。


あ、そんな自分が善人だとはこれっぽっちも思っていません。
むしろ世間知らずで煩悩だらけ
だからこそ、そんな自分のままで人生を終わらせたくないから、なので「人間修行」してゆきたいです。

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仕事柄、世間のことはよく知っておかなければと思って見るようにしていました。
が、ここまですさんでくると、これ以上自分から知ろうとしなくてもいいかな?という気がしています。
自分も影響を受けなくはないので。


それよりも、普遍的に変わらない本質的なものについて、もっとよく知って理解したり、実際に出来るようになりたいと思います。
そしてそれを、誰から求められたら還元できるようにも。


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