カバラ数秘術のBlog

『数秘術と宿曜術で人と未来を明るく元気にしたい!』 そんな大それた夢と目標を追いかけながらも日々是好日しています。数秘も宿曜も不思議で面白いです!

春分の日。始まりの日。


「不寛容社会」という言葉を見聞きするようになって久しいですが、警告になっているどころか、ますます進んでしまっているような(悲
そんな自分も無意識に不寛容なことをしていると思います。
ただ、自分の気分や好き嫌いを口実に、拒否したり批判したりはしていないつもりです。

それから、関わりをもつと自分にマイナスな影響や害を加える人や情報、物事についても、距離を置くようにしています。


できることと、できないこと。

仕事でもその線引きをきちんとして受けなければ、それが理由であとあと損失やダメージを受けた時の影響は小さいものではありませんので。
とはいえ、今はできなくても、そのうちできるようになるかもしれない。
そしたらその時は境界線を広げて引き受けてゆくつもりでいます。



で、ここがジレンマなのですが。

不快なことや嫌な人・事って、生きているうちは、世間と関わっているうちは決して避けて通れないもの。
しかも嫌がって逃げてても、慣れて、『免疫力/抵抗力』がつきません。
ですから、ある程度はそれらから目を背けないで、対峙していかないとなぁと思います。
心の持久力/体力と相談しながら、ね。


基本、(大)嫌いが好きに変わることは、まずないです。(ある心理学の先生の言葉です)

けれど、それらがどーでもよくなる、気にならなくなる、程度にすることはできます。
(無視するのとは違いますよ。焦点を合わせてても心や気持ちが動揺しない、平常心でいられるという意味です)


大嫌いな人や物事で悩む理由の一つが、それらに対して怒りや憎しみ、嫉妬、嫌悪感を抱いている自分が嫌になるということと思います。
良心(愛や情)がうずくんですね。
なので、なんとかそういう悪感情を無くそうと四苦八苦する。
けれど、相手の出方や状況によっては、消えるどころかますます強くなってしまう。
そうするとますます自分も嫌になり、しまいには人間不信になったり、そんな時代や社会の中に属してる自分の人生までも嫌いになって。
不満はもとより、自分の存在や能力・未来を悲観したり絶望したり。


そういう時ってまず、そんな自分自身を責めたり嫌悪することを止めると良いと思います。
「しかたがないこと」ってあるから。


「許し」という考えかたや表現が良く使われますが、心の奥底から許せる人など、私はいないと思っています。
これは、西洋の考え方に、許しという日本語訳の言葉のラベリングをしただけ。
実際に許せているかどうかは別の話ですし、日本語の「許す」という言葉が示す内容と同一視するのも疑問です。

また、誰もが自己愛をもっています。
その自分が傷つけられたら、不快になるのは当然です。
自分を守るのは自分ですから。

ですので、そのような場合、許せないのは自然で普通です。
だから、許せない自分を責めないでいただきたいなと思うんです。


責めることよりは、「気にしないようにすること」、もっというと「忘れること」ができたほうがいい!と思います。
そしてそれが、結果的に、許したことになると、私は思います。
というのも、そのことに執着してずっと忘れずに、繰り返しイライラしたり腹を立てるという低い精神レベルから、自分で自分を切り離し、上の次元へと持ち上げたのですから。
そういうことができた方が「許そうとする」よりも、もっとハイレベルで素晴らしいことと思います。
怒りや憎しみの執着を振り切れたご自分をどうぞ褒めてあげてください。

なので、許すとか許さないとかは関係ない。
もちろん、相手を好きになったり、優しくしようとする必要もない。 そう思います。
ただ、気にならないのと、嫌いなままでいること、は別ですよ。
気にならない状態というのは、好きでも嫌いでもない、どーでもいいという心理状態^^。



それとこの間、はっきりとわかったことがあります。

世の中には平気でウソをつき、誤った知識や情報行いを堂々と正当化し、自分の利益のために誰かを騙し利用して、迷惑をかけても困らせてても気にしない人がいるんですね。
根っからの性悪(いわゆるサイコパス サイコパスの特徴)。


こういう人は、自分は善人で、愛の人であり、世のため人のために正しいことをしているとさえ思いこんでいます。
「もしかして、自分こそ、間違ったことをしているのかもしれない」等とは、まったく考えません。断言できます。
利他愛やモラルの基準が低いのです。
またこれらと頭の良し悪しも別です。


それまで私は性善説を支持していました。
根っから悪な人などいないと。
けれど最近その考えかたを変えました。
中にはいるんです、根っこから、理解できないし受け入れがたい、異次元な発想をする人が(苦笑。


こういう人とどれほど話し合っても平行線のままですし、相手すればするほど消耗させられます。
というのも、このような人物は根っから自分本位なので、もちろん反省などしませんし、人の事情や気持ちを理解しようともしませんし、もっと悪いのは自分に逆らう人はすべて敵とみなすということ。
ですからそういう相手はやっつけないとと、好戦的な態度をしてきます。
挑発的で攻撃的な物言いをしてくるのですが、ここで売り言葉に買い言葉な反応をしてしまうと、もう泥沼になります。


しかも根っから自己中心的な人ほど、良心の呵責が起きませんので、自分が勝つための手段は選びません。
一方で善良な人ほど、「これはしてはいけない」というブレーキがかかりますので、なんでもありな相手には到底太刀打ちできません。

であればそういう相手は無視するか、距離を置いたほうが、賢明です。
関われば関わるほど、振り回され、ダメージが大きくなります。
こちらの良心を利用していたぶることさえしてくるので。


もちろんモラルに反したことをしているのは向こうなのにそれを知らん顔して放置することは、やるせなさや悔しさが残るだろうと思います。
でも、そういう考えや行為が、いつまでも続けられるはずがありません。
またそういう人ほど人の恨みを買いやすいので、忘れた頃に、足を引っ張られます。
それに、低級で邪悪なものほど孤独です。
なぜならその人の中にも外にも他者愛や分別がないからです。
あるのは利益がらみのつながりばかり。
なのでそれなしに自分に優しくしてくれたり、犠牲を払っても助けようとしてくれる人たちには恵まれません。
その証拠に、その人の周りには常に批判やらバッシング、人間関係のトラブルがつきません。
火のない所に煙は立たないんです。
しかも人がよさそうな人にちょっかいを出しては、自分の世界(仲間)に引きずり込もうとします。
それにまんまと乗せられてはいけないのですね。



そのような「邪悪」なものより、「清くて温かくて美しい」もののほうに、意識をシフトさせてゆくべき。
下ではなく、上を見るんですね。

光は強くなるほど、影が消えます。
自分の光/輝きを増してゆけば、自然と、邪悪を凌駕することができます。
そうなると、本当に、そういう過去(人、出来事)などどうでもよくなってゆくんです。
それに、上には上の、見習いたいようなステキな人がいっぱいいます。
そちらにだけフォーカスして、自分を高めてゆきたいものです。


ということで、春分の今日は、占星術の上では、地球にとってのお正月。

新しい一年の始まりです。

心の持ちようや意識を切り替えるのにはちょうどいいタイミング。


もっと、もっと上へいこう。


・●・●・●・●・●・●・●・

オンラインで、数秘術の個人レッスン しています
● カバラ数秘術講座 ●

メール鑑定セッション しています
● Homepage ●

応援click ありがとうございます!(別窓OPENします)
   にほんブログ村 にほんブログ村へ